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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No148.
[見るべき程のこと]
-最終回です-
2010.6.15

御挨拶

 メディアノート・Maekawa Memoも148回になりました。アクセスしていただいた方々、有難うございました。

 この数日、デスクやロッカーの資料などを整理しています。「これをここで捨てたら、もう世の中からなくなってしまうだろう」というようなものもありました。個人で持っていても埋もれていずれは散逸するでしょう。そうかといって、会社経営として保存価値があるとは思えないもの、しかし、テレビジョンにとって、何時か誰かが「あァ、ここにこれがあった!」と思うだろうもの、そういう何点かのものがありました。未来学的考古学の気分とでも言うのでしょうか。
 特に、思い入れのあったのは初期のハイビジョン関係のものと地上波テレビがデジタル化に踏み切る段階の資料でした。段ボール一箱分だけ倉庫保管を依頼しました。何冊かのドラマのコンテ台本、これも自分にとって心に残るいくつかの番組のものですが、それは日本脚本アーカイブスというのがあるのを知り、そこに寄贈することにしました。背表紙は取れ、綴じはほつれ、ボロボロよれよれの台本の書き込みの文字を見ていると自分の分身のような気がしてきて、一寸感傷的にもなりました。やっぱり自分の原点はテレビの現場だったのか、という気に少しだけなりました。
 思わず入ってしまったテレビ局とはいえ、そこで過ごした時間以外に僕の時間はなかった。それがあったからこそ、その後のテレビ論・メディア論の模索と、それによるいくつかの経営的あるいは政策的提言や行為などなどがありえたのでしょう。それもこれも「内から変える」という一点に賭けた意志であり、根拠の内在性への拘りこそ、ただ一つぼくにとって継続した行為です。その意味で、たびたび書きましたが、TBS闘争、そしてそこでの村木さんとの出会いは決定的でした。それは、ぼくにとってテレビ以前とテレビ以後を結ぶ結節点だったのです。

 46年間テレビジョンと付き合ってきて、それでは「見るべき程の事は見つ」と言えるかといえば、とてもとても、といったところです。何しろ、壇ノ浦で敗れた平知盛のこの台詞は「今や自害せん」と続くのであって、だからこそそう言い切れる、そういう断念が込められているのでしょう。とはいえ、テレビも栄枯盛衰の運命の外にはいられない、とこの頃強く思います。思うことは、大切なのは何であれその存在理由を存分に生き切ることあって、テレビは存分に生き切る前に自己解体をしているのではないか、ということです。しかし、それも力量の内と考えるしかないのかもしれません。

 ところで、ぼくはと言えば、何が存在理由かが判然としないのですから、困ったものです。マ、それが人間の実存性というものかもしれません。
 “tibetan”というチベットのお経をモダンにアレンジしたCDを聴きながら書いたので、最終回のこの文章に少しその雰囲気が混ざっているかもしれません。

 これからのことは語らないことにします。やることが沢山あるようなないような、そんな気分です。鮭が川に戻ってくると真水に慣れるため河口付近で数日回遊するといいますが、暫くそういう時間を過ごすことになるでしょう。

みなさん、本当にありがとうございました。
これらも、TBSメディア総研をよろしくお願いいたします。

TBSメディア総研ホームページアクセス数の推移

御挨拶

月間ページビュー

  • 2004年5月に開設以後2,000.〜2,500.
  • 2006年7月に3,000を超え、以後2007年12月まで4,000台を維持。
  • 2008年1月に5,000、2月に6,000、3月に8,000と急増。
  • 同4月に突然15,000を超える。理由は不明。
  • ピークは2008年7月の16,651.
  • 以後、2009年7月まで12,000〜15,000.
  • 2009年8月に10,000を切る(前月比-4,500)。これも理由不明。
  • 2010年3月に再び13,000 (前月比+4,500)。以後、このレベルで推移。



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