
No4.「TVはただの照明器具・・・か?」 |
2004.7.5 |
地上放送のデジタル化が、最初に公の場で議論されたのは今から10年前の「マルチメディア時代における放送の在り方に関する懇談会」(通称「マルチ懇」)でした。郵政省放送行政局長(当時)の私的諮問機関という良くある形式だったと思います。そして、これまた良くあるように、そうした「懇談会」の実質的な議論をするのは、その下にある専門委員会で、その時の取りまとめ役は当時東大の教授だった月尾嘉男さんでした。インターネット時代の到来が喧伝され、通信と放送の融合が盛んに話題になっていた頃です・・・勿論、いまでも盛んですがI?ゥ?ぢ。
月尾さんの議論はそんな単純なものではなかったと思いますが、でも煎じ詰めれば「デジタルとコンピューターの時代に、このままではテレビは生きていけないよ」ということになります。そう言われても、放送事業者委員は「ハイ、そうですか」というわけには行かず、「放送の基本とは・・・」という原則論を随分言い続けたように覚えています。
その議論の果てに「インターネットが普及すれば、テレビはただの照明器具になる。家に帰ってテレビをつければ、部屋は明るくなるし、絵も音もついている。照明器具として悪くない。その程度の存在だ。」という月尾発言が登場するわけです。意図的にかつ刺激的に発言されたのかどうか、そこは良く分かりません。この一言で、「照明器具と言われては堪らない」ということで、こちらもホントに真剣にネットワーク時代のテレビのあり方を考えるようになったのは確かです。
例えば、「融合(Convergence)というより相互乗り入れ(Cross Over)」という言い方はその延長によるものですし、何より「地上波のデジタル化は不可避」という放送事業者の選択も、こうした議論を基盤にしたものなのです。そして、月尾さんも「マルチ懇」が終わった時に、「放送局の人たちの論理がよく分かった、勉強になった。」と感想を言っていたように記憶しています。その後、月尾さんはTBSラジオのレギュラー出演者になり、結構放送を楽しんでいるようです。最近お目にかかる機会が余りありませんが、私とは仲良く?お付き合いが成立する関係です。
さてここまでは「思い起こせば」という話です。
その後、インターネット時代の政策論は「IT化=e-Japan戦略」として進行し、地上放送のデジタル化はその「最も基本的施策」として位置付けられるようになりました。「メデタシ、メデタシ」なのでしょうか。
ここに至る過程においても、あるいは今後の展開としても、通信ネットワークとテレビ放送の関係は何度も議論の俎上に上り、またこれからも議論されることになるでしょう。そして、いまやIT論議の焦点はコンテンツ論に移りつつあるようです。ここでも、問題は大きく言えば二つあります。一つは著作権に関すること、もう一つは放送そのものの通信インフラによる再送信。状況はやはり複雑です。けれども、論議の構造はあまり変わっていないのです。攻めるネット、守るブロードキャスト。ブロードキャストは攻められつつ認識を深化させ変化に対応しようと苦闘し、一方ネットは技術開発を先取りしつつ陣取りを着実に進める、こんな具合だと言えるのでしょう。その背景には、デジュール(規格化)の放送とデファクト(市場主義)のネットという違いもあるでしょう。
ただ、そういう状況に身を置きつつ気になることがあるのです。それは、「テレビはただの照明器具ではありえない」と断言したものの、この頃テレビを見るたびに「ひょっとして、テレビはインターネットに融合させられなくてもただの照明器具になってしまうのではいないか」ということです。自室に戻ってテレビをONにした時の妄想かもしれません。「前川さん、年をとったから今の編成に合わないんですよ」ということなら良いのですが・・・。
テレビジョンの可能性について、もう一度まっとうに向き合わないと、自己解体することもあるかもしれない。テレビジョンにはまだ多くの可能性があるからといって、だれもそれを保障してくれないと思うのです。
「マルチ懇」の専門委員名簿に、NHKの椎名敞さんの名前が載っています。先日、椎名さんは思わぬことで亡くなられ、その通夜に参列しました。思えば、あの時の議論は牧歌的だった。でも、出発点はそこにあった、そう思います。
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