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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No5.「テレビの苛立ち」 2004.7.20

 千田利史さんがTBSメディア総研を訪ねてきました。
 千田さんは1977年電通入社ですから、僕より1世代半若いということになります。30年近く勤めた電通を離れて、独立してメディアビジネスのコンサルタントを始めたそうです。電通時代は、衛星事業などを担当し、在職時代からメディア関連の著作もあります。
 電通の企業人はなかなか多士済で、元オリンピックチャンピオンや著名な賞を取った作家もいました。僕自身は営業や編成の経験がないので、代理店の方との広範な交流ありません。ただ、メディア関連の仕事をするようになって20年を超えました。それなりのお付き合いの中で、千田さんはちょっとオモシロイと思っていた人だったので、今回の独立が成功することを期待しています。
 さて、小一時間の雑談兼エールの交換をした後で、昨年出版され、僕も一章を担当した「高度情報化社会のガバナンス」(NTT出版)という本を進呈しました。それから数日後、千田さんから新著「デジタルで変わること 変わらないこと」(中央経済社)が送られてきました。
 千田さんの書いたものは、屈託を感じさせないところが良い。それでいてポイントを外さない。多分、状況への感度が良いのでしょう。
 例えば、「テレビ放送のデジタル化は情報生活に関わるメディアのデジタイゼーションの最終工程に位置づくものである。むしろ、『テレビが、その最後尾に並んでいる』と言い切ってもいいと思える。」千田さんは、もちろん広告業界に身を置いた立場から、メディア、特に広告媒体としてのテレビの圧倒的強さを知っています。そのことは、この本の随所に出てきます。別の言い方をすれば、千田さんは地上波テレビがとても気になっている。だから、これはテレビに対する優しさを含んだ批評でしょう。でも、やっぱりこう言わなければならないほどデジタル革命は進行していて、それについてテレビは自分のポジションを千田さんの言うほど明確に認識していない。そう、そこには確かにテレビ自身の苛立ちがあるのです。
 あるいは、デジタルメディアの特性として、モバイルとともにタイムシフトを取りあげつつこう言います。「(テレビは)電波の一過性に規定され(頼り)すぎていた面があるだろう。リアルタイムに向く速報性に立脚して、強みをそこだけに発揮してきた傾向がある。インプレッションのメディアとして、世の中の動きとともに影響力を伸ばし、そのことに自己評価を高めすぎた感さえあるように思えてしまう。」これについては、コメントする必要はないでしょう。テレビもそれを分かっているのです。
 僕がメディア状況の変化に関わるようになって20年。折に触れ思うのは、「テレビは一つの全体である」ということです。技術、産業、制度、ジャーナリズム、商品、表現、著作権、広告、生活・・・。テレビが内包するこうした要素の全てが、デジタル技術の登場により揺さぶられています。こうした変化に対して、局地戦型の対応を繰り返していても展望は見えない、しかしそれでは全体的状況把握が出来ているかといえば、変化の深さと速さはそれを上回っている、これがテレビの苛立ちの構造でしょう。デジタル革命に関わる人たちからは、テレビの対応があまりにコンサバティブだと思うのも不思議ではありません。
 若しも、テレビ産業に市場原理が貫徹していれば、技術革新が市場に直接的に反映し、もっと解りやすく業界再編が進んでいるでしょう。でも、業界全体の構造は、市場原理とは違って電波行政に基づき、「あまねく普及」、難視聴解消、全国4波化などの縛りがある。NHKという違う経営原則の巨大な力も働いている。だから、変化は避けがたいが最大限緩やかに対応したい、というよりせざるをえない、これがテレビ側の反応だと思います。しかし、他面では状況変化を見たくない、あるいは見えていても対応する体力がないので慣性の法則に身を任せる、という作用が働いているように思えます。黒船到来以後の各藩の藩政改革を思い起こさせる状況です。

 そう考えると、僕の放送業界での仕事の最終局面は、なかなか劇的に見えてきます。
 さて千田さん、どうしましょうか。
 「デジタル(菊)は栄えて、民放(葵)は枯れる」なんて辛いものがありますからね。
 コンサルタントの出番は早いかもしれませんよ。



TBS Media Research Institute Inc.