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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No6.「断言肯定命題」 2004.8.5

 和田勉さんの「テレビ自叙伝」を読みました。なんだか、このMaekawa Memoは読書ノートみたいになってきたけど、マ、イイか・・・。
 その扉に「この一書を、電気によってただ明るいだけのテレビに捧ぐ」とあります。なんだ、やっぱり「テレビはただの照明器具」になってしまったのか・・・。  和田さんがどういう思いでこう書いたのかは、この本のサブタイトルが「さらばわが愛」となっているところからもわかるというものです。なにしろ、カバー裏に「テレビとの訣別を宣言する」とあるくらいですから。でも僕は、多分和田さんはそう簡単にテレビと訣別しないと思いますけどね。
 扉の裏のページには以下のコトバが囲みの中に並んでいます。

てれびじょんトハツヅメテイエバわが身のことデアル
ソレハイツモ真正面から
ヨリヨク描くノデハナク
ヨリヨク見るタメニ存在スル
歴史トシテノ人間デハナク
生物トシテノにんげんノタメニアルノダ
コレハ固体デハナクテ 完全ナ液体デアル
・・・・・・・・
イズレニシテモ人間をまるごととるタメニハ時間ヲカケテハイケナイ
ソレハ一気にすばやくトレバトルホドヨイ
・・・・・・・・・

 これは、1964年(NHK入局11年目)の和田勉さんの言葉です。「断言肯定命題」とはこのことです。この年、僕はTBS に就職しました。この中のいくつかのフレーズに、僕はその5年後、1969年に「お前はただの現在にすぎない/テレビに何が可能か」(萩元晴彦 今野勉 村木良彦)のなかで出会うことになるのですが、そのことについては、今回は措くとしましょう。
 和田勉さんのドラマの迫力、あるいはドキュメントとしてのフィクションは、これらの言葉に凝縮されている。テレビとの出会いがいかに刺激的であったかがよく分かります。
 「新・調査情報」に連載されている今野勉さんの「daの時代/テレビも私も青春だった」を読みながら思うのだけれど、日本にテレビが登場して最初の15年か20年で、テレビはその創造的(あるいは破壊的といってもいい)エネルギーをほとんど消尽してしまったようにも見えます。そして、時代がテレビを追い抜いていったのもその頃だったのでしょう。また、テレビ局が会社組織として世間に認知されるようになったのも、テレビ広告費が新聞広告費を上回ったのも同じ時期だったと思います。
  和田さんのフレーズに、「テーマよりも、モチーフを、モチーフよりもマチエールを」というある詩人の言葉をつき合わせると、テレビディレクターには詩的直感が必要なのだということがわかります。いま、テレビディレクターにとって詩とは何か、と言う問いは成立するのでしょうか。

  さて、このこととテレビのデジタル化はどうつながるのか、あるいはつながらないのか。僕はテレビというメディアには多くの可能性があると思ってはいるものの、それが黙っていても実現するなどと信じているわけではない。ただ、デジタル時代にテレビがどうなるのか、そして新たな才能がデジタルとどう出会うのか、それとも遂にそういう出会いの機会は訪れないのか、それだけは見つづけなければならない、そう思っているのです。僕にとってのテレビとのかかわりは何かといえば、このアンビヴァレンツを引き受けるということしかないのです。
  それにしても、和田勉さんのように「断固として言い切ってしまう」才能は素晴らしい。

[記 事]
■「地上デジタル放送の携帯受信サービスと映像圧縮技術の特許問題」
 (「調査と研究 D−pa」 特集:ユビキタスメディアへの大きな一歩)
  ・・・地上デジタル推進協会



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