
No17.「年賀状を整理して、テレビについて考えた」 |
2005.1.15 |
1972年(昭和47年)から取ってあった年賀状を去年の暮れに整理した。この10年は毎年200通程度はあったのだから、よくまあこれだけ取ってあったと思いつつ、デザインの気に入ったもの、一言書き添えた言葉が心に残るものなどだけ残してみた。
1980年・・・「いつの間にか80年代という感じです」。今読めば、そこにはバブルの予感があったのかもしれない。
1990年・・・前年のベルリンの壁撤去について、世界的な転換期だという感想。
1992年・・・「とうとうソ連は消滅してしまいました」。これは、大学のロシア研究の専門家の言葉。「湾岸戦争、ゴルバチョフ引退、ソ連の崩壊と文字通り激動の1年でした。感無量です」。学生時代の友人の一言。
毎年、西暦でもなく元号でもなく、憲法公布の年から数えて「民主**年」と書く人。
2000年と2001年は、当然のこととして世紀の変わり目についてのコメントが多い。
2002年は、<9.11.>以後の時代のこと。
昨年なくなった宮田さんは、この年に「相変わらず妄想にふけっております」と書いている。宮田さんは、その翌年だと思うが「貴君の若さに嫉妬」と書いてくれたっけ・・・。
この数年は、デジタルについての一言も多い。「勉強してみて、デジタルの深さにビックリしています」、これはTBSの技術の大先輩。
「何やらボーッとした人生で終わりそうな予感」と昨年書いて寄こした友人もいる。
彼のキャラクターを知るものは、そのニュアンスがよく分かる。いろいろ考えて試行錯誤したものの、それが形になることなく過ぎてしまった時間をどう始末したら良いのか、還暦を過ぎて思い返しているのだろう。今年の彼の年賀状には、学生時代に読んだ本を読み返していると書いてあった。
そして、今年の年賀状には「テレビ局はどうなるのでしょう」というのがあった。
おもえばこの間テレビは何をしていたのだろう。そして、僕は。
冷戦構造の崩壊と<9.11.>は、戦後体制の捉え返しという世界認識の再構築を求めているのに、メディアはそれに応えてこなかった・・・と思う。この国は、1945年の決着のつけ方を放置し、高度成長とバブルの中で[Japan as No1]に惑わされ、その中で気がつけばテレビは瑞々しい感性も、深く掘り下げる思考も喪失してしまったのではないか。テレビは時代と添い寝をするメディアだともいえるが、そうはいっても寓意くらいは込められるだろう。それを想像力という。想像力は時代と向き合うことから生まれる。デジタル技術による革命的変化の只中であるからこそ、メディアの本質が顕になる時代である。政治が権力の自己増殖の過程から逃れられないものであるとすれば、そしてテレビというメディアは「共通の意識空間の形成」という政治的行為から逃れられないのだから、否応なく政策にコミットしつつ、なおかつメディアとしてのテレビジョンについて考え抜くことが求められている。政策論とメディア論を貫くテレビジョンの思想のために、組織としての「現場感覚」の再構築が必要である。そして、デジタルもまた一つの「現場」である。
|