
No21.「政策展開から見た地上放送のデジタル化」 |
2005.3.15 |
ライブドア問題は、仮処分申請に対する地裁の判断が示されたところで、週が明けた。これからどのような展開になるにせよ、メディア産業の本質に関わる問題であることだけは間違いない。このことはまた触れることになるだろう。
それとは別に、「新・調査情報」の3/4月号の「焦点」に、「第2ステージに入った地上デジタル放送(2)」(3回連続の第2回)に、情報通信の全体政策の中でのテレビのデジタル化のことを書いた。この問題が起こる以前から書いていた:原稿だが、ライブドア現象?と、論点として重なる部分ある。以下、ご参考。
*第1回はメディアノートNo18.(2.1.版)に掲載。
第2ステージに入った地上デジタルテレビ放送(2)
政策・制度面から見た論点
「情報通信審議会」中間答申の意味
前号では、第2ステージに入った地上デジタル放送の課題を述べたが、これを政策展開という面で見ると、その焦点にあるのが昨年7月の「情報通信審議会」の中間答申である。この中間答申がどのような意味を持っているかについて、まずその要旨を確認しておこう。
(1)地上デジタル放送の推進はe‐Japan戦略の基本施策と位置付け、(2)「民間」の創造性・主導性を基本とするものであり、(3)その上で、国は「公共分野の高度化」や「全国均衡の取れたネットワーク整備」という大きな方向付けを行う立場から、(4)特に、デジタル投資環境の整備と視聴者の不利益変更の回避、条件不利地域(難視聴地域)の解消に努めるとともに、(5)公共分野の高度化として地上デジタル放送の教育・防災・医療分野での利活用と通信との連携を推進し、(6)これにより地上デジタル放送における地方公共団体との関係強化を図る。
(7)また、2011年の「完全移行」のためには条件不利地域におけるCATVや通信インフラを「補完的伝送路」として利用した再送信を想定することが必要であるため、(8)通信・放送共用の光ファイバー伝送などの実証実験を実施するが、(9)こうした再送信においては、放送の安定性・信頼性の確保が不可欠であり、(10)実証実験において、技術・コスト・伝送主体などについてフィージビリティー・スタディー(実用化のための実験)を行いルール化を検討する。(11)こうした再送信の実施に際しては、どの伝送路を補完的に利用するかは放送事業者の主体的選択による。以上が「中間答申」の論理構成である(クリックして図参照)。
「国策論」に対して行政が出した答え
最近になって「地上放送のデジタル化はe‐Japan戦略の中核」といわれているが、それぞれのスタート時点では、日本のIP(インターネットプロトコル)ネットワークの高度化(世界の最先端を目指す)戦略である〈e‐Japan戦略〉と、最大普及メディアである地上放送のデジタル化は、別個の政策力学で進展してきたのだ。この「中間答申」の位置付けで重要なのは、その双方を組み合わせるべく具体的な政策を提示したことである。中間答申の最終段階では文言としては書かれていないが、「補完的」とはいえIPによるテレビ伝送が意識されているのも、こうした背景があるからだと考えられる。
前号で「国策論」という言葉を使ったが、一言で言えばそれは「地上波のデジタル化は国策であるのだから、国が責任を持って遂行すべきである」という事業者の主張であり、そこには「11年という時限的な[あまねく]の実現のために、国として経費措置をすべきだ」という意味が強くこめられている。
国から見れば、国費(税)の投入が国民の支持を容易に得られるものではないため、そこに至る過程でどれほどの適切な施策が実行されたかが問題とされる。この「中間答申」に基づくさまざまな施策が具体化すれば、それが「国策論」に対して行政が出した答えということになろう。
ネットワーク社会におけるテレビの位置付け
思えば、1年前に「レイヤー化論争」と呼ばれる出来事があった。放送のレイヤー化とは、e‐Japan戦略を担当しているIT戦略本部の議論の中から出てきたものだが、それは急速に普及するブロードバンドネットワークを前提に、テレビ放送を「インフラ(物理層と伝送方式の両方の意味)/プラットホーム/コンテンツ」の3層に分離して再構築するという考え方であり、これに対して放送事業者は「ハード・ソフトは一致すべきである」と反論し、結局この提言は凍結されることになったのであった。
別の見方をすれば、「レイヤー化論争」とは、最大普及メディアであるテレビを高度なネットワーク社会に関係づけるための主導権争いであったともいえる。そのバックグラウンドに、IT戦略本部の筆頭官庁である経済産業省と地上デジタルの主官庁である総務省の関係があったことは想像するに難くない。
ただし、放送事業者にネットワーク社会におけるテレビの位置を展望する明確な構想力があったかといえば、それが欠落していたことを認めざるを得ない。今回の情報通信審議会の「中間答申」は総務省からのカウンター(テレビからIPへのアプローチ)と見られなくもないが、それは同時に放送事業者にとって「ネットワーク社会におけるテレビの位置付け」を再考する機会であるともいえよう。
焦点はIPによる放送の再送信
こう考えると、この問題の最大の焦点はIPによる放送の再送信にあるということが見えてくる。言うまでもないことだが、「再送信同意」権限は放送事業者の固有の権利である。それを前提にしつつ、放送事業者がIPに対して警戒心を持つのは、主として(1)地域免許性(2)同一性保持(3)著作権(4)ハード・ソフト一致の4点についてである。
先ず、著作権については、著作隣接権としての放送局の権利と放送番組における権利者の権利が保護されるべきことは言うまでもない。伝送路が何であれ、技術的措置と法的措置による権利保護の仕組みは不可欠である。
次に、地域免許制についてである。地域免許の根拠は、放送法に基づく「放送普及基本計画」と「周波数使用計画(チャンネルプラン)」にある。
こうした制度の上に所謂「全国4波化政策」と「難視聴解消政策」が進められてきた。
一方、ネットワーク社会の高度化は、地域性という境界を越えるところにこそ、その存在理由がある。したがって、現行制度を前提に考えれば、地上民放の枠組みと相容れない伝送システムは認め難いということになる。しかし、それではそのIPネットワークで地域性が担保されたとすれば、IP伝送を拒否できるのだろうか。
ハード・ソフト一致原則とは
また、「同一性保持原則」とは、「放送の信頼性・安定性の観点から、放送内容が『技術的』にも改変されずに再送信されるべき」ということだが、放送信号をパケット伝送することが同一性保持に反するかどうか。
これまでの放送側の論理は「同時性・同報性」が求められる放送伝送にはパケット伝送は適さないという考え方が一般的であり、技術的にも放送信号の変更という意味で「同一性保持」に反するということであった。ネットワーク社会の進展の中でそれが妥当な判断かどうかあらためて検証することが必要だと考えられる。
最後に、ハード・ソフト一致原則についてだが、これを「受信端末まで伝送路は放送波により確保されるべき」という意味でいうならば、既に直接受信世帯の比率が50%を割っているという現状は実態的にはハード・ソフト分離であると言わざるをえない。では、どう考えればよいのだろうか。
ハード・ソフト一致原則とは、免許主体が編集権(編成権の意味)を保持することをいうのであって、これは放送サービスの根幹をなす原則だが、しかし放送波以外の伝送路による受信を排除するということではない、と私は考える。これに対して「あまねく普及」(民放は放送法第2条・ニ・6による努力義務、NHKはこれに加えて第7条のNHKの目的による義務)は、免許エリアを放送波でカバーすることについての規定である。
放送波の不可侵性にこだわるという隘路
つまり、デジタル放送においても放送波によるエリアカバーは現行制度でも果たされるべきだが、最終的に視聴者がどの経路で視聴するかはそれとは別の論理であろう。言うまでもなく、地上放送事業者にとって、放送波によるエリアカバーは最優先課題であるが、地上波以外の情報チャンネルが増大する中で、放送波の不可侵性にこだわることはかえって隘路にはまることにならないだろうか。
つまり、著作権保護の担保と地域免許制による放送の枠組み(全国ネットワークを含む)の維持を除くと、何を根拠にIPによる放送伝送を拒否するかは、そう簡単な話ではない。ここには、制度と産業の関係が凝縮されている。
免許として周波数の専用権を所有する以上、「放送の枠組み」という制度規制は事業の前提となるが、一方インフラと端末の多様化多機能化により、サービスによる競争こそ事業者の取るべき選択であるということが求められている。
デジタル化とは、このようにこれまで放送事業者が考えないで済んできたさまざまな問いかけを発するものなのだ。その究極の問いは「公衆が直接受信することを目的とした無線による送信」という放送概念そのものの確認というところまで行き着くのである。
言うまでもなく、ネットワーク社会が如何なる状況になろうとも、[1対n]のマスメディアの社会的機能は、情報の共有化という観点から不可欠なものであると考えられるが、しかしそれが他のメディアと無関係に成立するということではない。
概念は変わらないとしても、その具体的な展開は変化するメディア関係の中で常に問い直されるべきなのである。「情報通信審議会」の中間答申の重要性とは、以上のようなことなのである。前号で「骨太の政策」といった所以である。
「第2次放政研」の行方
こうした根本的課題に関して、もう一つの重要な検討が進捗している。それは、「デジタル化の進展と放送政策に関する調査研究会(いわゆる「第2次放政研」)」である。
これは、情報通信政策局長の私的諮問機関という位置づけで、学者・有識者により構成されている。一昨年の「放送政策研究会」(これが第1次)では、「マスメディア集中排除原則」の緩和についての考え方が示され、それに基づき一定の条件の下で民放経営の統合再編の可能性が制度上明らかにされた。
この緩和策がデジタル時代の放送市場の活性化と視聴者利益の保護に実効的かどうかは、近い将来明らかになるであろうが、少なくとも「民放経営の統合再編」が制度論の検討対象になったのは、放送政策史の一つの転換点になるかもしれない。
現在の「第2次放政研」では、(1)デジタル化の進展と新しいサービスの展開(デジタル・ラジオ、携帯端末向け放送、サーバー型放送、通信ネットワークとの連携、およびこれらに伴う政策課題)(2)デジタル時代の公共放送のあり方(3)デジタル時代における放送コンテンツ(デジタル環境下の放送番組の利活用に必要な政策課題)、などが主たる検討事項である。
研究会への関心が低い放送事業者
これまでに、NHKや民放連など関係者の意見聴取が行われ、今後はさらに具体的テーマに沿ってWGが開催されるという。一言で言えば、11年以後のデジタル時代の放送制度のあるべき形を提示しようというのであろう。ということは、08年の一斉再免許時点までに、基本的な制度整備が行われると想定できる。
それにもかかわらずこの研究会への放送事業者の関心が低いと見えるのだが、それは、構成員として放送事業者委員が参加していないことにもよるのだろうか。一般的に、利害関係者を交えず客観的な立場から制度について検討することはあり得ることであり、それをもってそこで得られた方針を否定的に捉えるべきではないであろう。
しかし、前号で述べたことも含め、デジタル化とは全体的な視点に立たない限り問題の所在を正確に把握できないものであり、デジタル化に関する一つの政策方針の選択は実に多様で且つ錯綜する論点に波及するものである(これについては、次回もう少し踏み込んで書いてみたい)。
現場に視線を届かせる必要
さて、そうだとすれば、デジタル化のための政策判断には極めて密度の濃い状況把握が不可欠であり、これについて同研究会の対応は十全であろうか。また、そこで検討対象にならなかった(なり得ない)課題については、別の検討回路が用意されるべきであろう。また、直接的関係者の的確な参画が欠落すると、政策からリアリティーを失わせることになるであろう。行政としては、同研究会の存在意義について事業者に対して十二分に説明するべきであり、併せてデジタル化の現場に常に視線を届かせる必要があろう。
一方、放送事業者というまさにデジタル化の主体である私たちが、同研究会の重要性についてさらに深い認識を持つべきである。それは単なる利益擁護ということではなく、適切な制度政策の立案のためである。
さて、ここまできて私たちは否応なく次の問題に向き合わされていることに気がつく。すなわち、こうした政策展開(冒頭で指摘した「デジタル化は民間主導」というのも政策の一つである)の中で地上デジタルが進展するとして、そのときメディアとしてのテレビジョンはこうした政策をどう考えればよいのかということである。あるいは、政策論とメディア論はどのような関係を形成しているのか、と言い換えてもよい。以下次号。
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