
No22.「
伝えること・記録すること
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2005.4.1 |
(前回に続いて)ライブドア問題は、仮処分申請についての東京高裁がLFの異議申し立てを却下したところで、週が明ける。…というように書き出すつもりだったが、そこにソフトバンク系が登場してきた。なんだか、真打登場という感じもするが、いわゆる「融合」状況はこれで間違いなく大きく変化するだろう。もはや、テレビとネットの「攻防」という域は超えられた。テレビは50年を経て、初めて本格的な未知との遭遇を経験しようとしている。
ところで、いま赤坂の旧TBS本館とTBS会館が取り壊され空き地になっている。1964年に入社して以来、一ツ木通りから空がこんなに広く見えたことはない。何かとても新鮮な感じがしているが、これも歴史的変化を象徴する風景なのだろうか。
都心は再開発が盛んだ。作家のリービ英雄さんは「日本の都市の変わりようは激しい。…そこ(註:アメリカの都市)では、近代そのものが一つの『伝統』になっていたせいか、ぼくが初めて東京を知ったとき、ニューヨークなどより東京の方が『新しい』のではないかと思い、その『新しさ』に青年の僕は陶酔したこともあった。」と書いている(「激変の東京で考える『時』」3月6日朝日新聞[時流自論])。彼が東京に来たのは60年代だという。80年代後半、HDTVの立ち上げを面白がっていた頃、クリエーターでありベンチャー・ビジネス目指していたバリー・リボ(今彼はどうしているのだろう)は、「東京は来るたびに変化があって、世界で一番エキサイティングだ」とよく言っていた。僕にとっては、その頃年に一度程度、それも数日訪れるニューヨークのほうがよほど刺激的だと思ったものだった。だが、確かに東京の景観の変化は激しい。
陣内秀信さんの「東京の空間人類学」(筑摩書房 1985年)によれば、東京の都市形成は、城下町としての江戸、明治の文明開化期、大正後期昭和初期の西洋化近代化の三層構造で形成されたそうだ。この本のどこかで、陣内さんは東京の都市としての連続性は意外なほど残っていると書いていたように思うのだが、その件を見つけられなかった(また探してみる事にしよう)。こうした層として都市を見ることについて、リービ英雄さんは「一つの現実の都市のすぐ下から、必ず、複数の記憶の都市が発掘されてくる。凝縮された『時間』の層の中から、何を蘇らせうるのか」という。
最近街を歩くことが少なくなった。
地図情報も多様になり都市交通も便利になって、目的地を探しながら訪ねることもほとんどない。学生時代には、地図帳片手に都電を乗り継ぎ、路地を曲がり曲がりしながら、例えばアルバイトのアンケート調査や下宿(これも死語だろう)探しなどしたものだった。僕の手元に、色褪せてページもほどけかけた「東京都区分地図帳」がある。昭和42年の発行だから、東京の風景を一変させたあの東京オリンピックの後ものだが、都電の全系統図が付いている。首都高速道路“予定図”が巻末にある。その頃もこの地図を重宝していたのだろうか。
そんなことを思い出しつつ、人間が歩く身体感覚(都電などはこれに近い感じだと思う)で、街を歩き、風景を眺めることは、都市と人間の関係を確かめるためには、とても大事なことなのだと思った。そういえば、森林太郎(鴎外)立案の 「東京方眼図」(明治42年)の復刻版も手元にある。当時の東京を縦横に区分して数字とイロハを付けた全図とそれを区分別地図帳にしたものだ。「区分地図」元祖だろう。これと「東京都区分地図帳」と2冊持って、そのうち街に出てみよう。
そして、もう一つ大事なことは記録することである。記録することで、僕たちはどのような人の行為の蓄積の上に今を生きているかを知ることが出来る。「今」という時間の意味は、「今」というその時の中で確かめることは不可能だが、「今」の連続としての時間の記録は、その可能性を示している。
メディアは伝えることと記録することの二つを満たすことでメディアになる。テレビジョンは、記録することをもっと大切にすべきだ。
ライブドア現象によって、放送の公共性もまた問われることになったが、それは免許事業であるからだけではなく、メディアとしての伝達と記録による多様な可能性を構築しつつけることによって創生されるものである。「テレビは何をしてきたか」ではなく「テレビは何を忘れてきたか」という検証が必要だと思う。それが、テレビジョンが本来的に持っている可能性を、ネット社会の中で現実化するために必要なのだ。危惧すべきことはインターネット・ビジネスの急速な進展やテレビへの侵出ではなく、テレビジョンの自己喪失である。
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