TBS-MRI TBSメディア総合研究所
home
メディア・ノート
    Maekawa Memo
No25.「中国ノート」 2005.5.15

 上海旧市街の内山書店跡(現在は中国工商銀行の建物で、壁面には内山書店がここにあったことを示すプレートが嵌め込まれている)を訪ね(写真にリンク)、そしてそこから表通り沿いに歩いても5分とかからないところにある魯迅が最後に住んでいたアパートの中を見学した(写真にリンク)。そこから、旧市街の反対の方向にある宋慶齢稜園の、そのゆったりとした並木道から少し外れた筋にある内山完造夫妻の墓地を見つけて手を合わせた(写真にリンク)。4年前の秋だった。何度か中国に行っているが、一番印象に残る一日だった。内山完造は、一日本人として中国を肌で感じ中国の人々と生活を共にし、内山書店にしばしば足を運ぶ魯迅と親交を深め、魯迅の最後を看取ることになる。敗戦時に店をたたみ帰国するが、戦後も中国との交流に尽力し、訪問先の彼の地で死去。こうした経緯はいくつかの記録として残されている。
  中江丑吉は1915年から17年間北京に留まり、そのほとんどを胡同(フートン=北京旧市街地にある旧来の住居形式の区域)で暮らしつつ、中国古代思想を研究と「精神現象学」や「資本論」などを原典で読んで過ごした人だ。所謂満州事変を世界大戦の予兆と看破し、また独ソ戦開始を聞いて「ナチス独逸ノ星運ハ既ニ漸ク数エラレントス」と書き残している。病んでいた結核を不治と診断されて1942年に帰国し、同年福岡で死去。この人のことはあまり知られていないと思う。中江丑吉は中江兆民の遺児であった。上海訪問の翌年に胡同を散策したことを思い出しながら、中江丑吉のことを考えた。
  内山も中江も、それぞれの時代の中で中国と向き合った。そのように、私たちはさまざまな形で中国との関わりを経験している。今そのことをとても大事なことだと思う。中国問題が屈折した形で展開しようとしていることについて、いくつかのことをノートしておきたいと思う。私自身が、何故中国にこだわるのかというその理由を、自分にとって明らかにするためにもこれは必要なことなのだ。

1.視点
近代以後の約150年、日中間にどのような接点があったかを確認すること。明治維新に至る経緯と清朝末の状況の対比に始まる両者の「近代化」の対比とその論点の摘出。これは、専門家レベルでは既に何人もの学者研究者によって行われているが、「事実認識」は視点によって一致しないということを考えると、両者の「認識」を突き合わせる必要がある。政治と思想と生活の錯綜する関係。しかも、両者の視点の相違だけでなく、双方の内部の視点の相違もある。どのように「突き合せる」場を設定するかは容易ではない。日中(あるいは日中韓)で、歴史の共同研究を行うという動きもあるが、それだけでなく私たち自身を含めた「さまざまなレベルで」というしかない。

2.前提
1931年(所謂「満州事変」)以後、少なくとも1937年の日中戦争以後は侵略行為であった、と私は思う。その上で、「戦後処理」をどう評価するか、何を以って「戦後処理」というのかを問うこと。

3.戦後思想
日本の戦後文学と思想は、戦争(戦時下)体験の捉えなおしから始まった。時代という共通体験と、個人としての固有の体験。その思想化は他に置き換えることの出来ない、個々の作業として営まれるしかなかった。それは、おそらく1960年代まで継続される(例えば竹内好)。その評価と継承が必要。「侵略行為」であることは消すことは出来ないが、そこから何を得たかは私たちの思想的資産である。70年代以後の「戦後」の解体の意味の捉えなおしと重ねた、二重構造の作業が必要(戦後世代の加藤典洋やそれよりもっと若い小熊英次が、新たな視点を提示しているが)。「戦後民主主義」のプラス価値と欠落要素の把握。これは、「国家」による政治的総括では不可能な行為である。私たちの仕事(「私たち」とは誰かを含めて)。また、古典的な言い方になるが、例えば政治と文学(あるいは表現)の関係において、政治の不可能性と文(あるいは表現)の可能性というテーマを持続し続けこと。

4.中国の正当性と「正義」
非侵略国としての中国の正当性はそのとおりであるとして、それを絶対的な「正義」として掲げ続けるとき、「正義」の頽廃が生じる。感情と政治と思想の関係の自問。「反日」が日本批判として有効であるためには、批判者は非批判者に対して論理的正当性のみならず倫理的優位性も問われる。「反日デモ」を国民感情だとすれば、このことを中国の人々に求めたい。

5.ナショナリズム
誰もが、帰属すべき共同体へのアイデンティティーを求める。ロマン主義的心情と政治の求心力は双生児の関係であろう。大衆型民主主義とポピョリズム型指導者は、国家間が緊張するとき接近する。その延長で起こり得る排他あるいは憎悪は、無名の行為として免責的に暴発する(ユーゴスラビア解体後のボスニア)。しかし、歴史はそれを記録する。では、国家としての論理から心情を排除できるか。抑制力として、他者の存在を認知すること。外交とはそういうものだ。

6.距離感
政治は権力の自己増殖行為である。日本が経済発展による自己表現の限界に直面した現在、政治は政治固有の自己表現を求めつつある。日本が「国家」を考えなくて済ませてきた60年間は終了した。今あらためて、権力との距離感が問われている。
中国のあるジャーナリストは、文化大革命と現在の間について質問されたとき「中国人は政治に疲れた」と呟いた。「だから商売に熱心になるのだ」とも。それでも、政治は継続する。中国の人々に「権力との距離」はどのように感じられているのか。そして、私たちは。これを語り合うのは困難だろうが、問いかけは必要。

7.世界情勢
ベルリンの壁崩壊以後の冷戦構造の終焉を第1段階、湾岸戦争から9.11.を第2段階として、世界状況は明らかに「戦後体制」を変質させたと思う。今、日本と中国の政治的選択は、世界構造にとってきわめて大きな意味を持つ。その問いかけを双方が行うべきであろう。少なくとも日本では。

8.メディア
インテリゲンチャー乃至は知識人といわれた人々の役割は、過去のものとなったとして、ではそれは「誰の行為」あるいは「どのような機能」として成立するのか。「反日デモ」がインターネットを通して呼びかけられ組織化されたというが、その意味は何か。マスメディアがマスメディアである理由は、「情報編集機能」にあるとして、そうだとすればメディアの役割は大きい。だが、マスメディアだけが情報伝達を掌握する時代は終った。さまざまなメディアによる情報の多層的機能が重要になる。「幻想の共同体」としての国家のあり方とメディアの関係の問題。

9.<5.4.>
5月4日の反日デモは「政府の規制により未発」と伝えられている。インタへネットのサイトも封鎖。これをどう捉えるのか。両国間の更なる緊張は一時的にせよ回避されたというが、そういう問題だろうか。次の歴史的記念日にデモが再発するかを予測する向きもあり、また水面下ではさまざまな外交的折衝が続けられているだろうが、それとは別に考えるべきことは山のようにある。

10.
これらのことを踏まえつつ、私たちは中国問題を考え続け、そして中国(の人々と)付き合わなければならない。2年程前、北京の書店には村上春樹の小説が平積みされていた。中国の若者が村上春樹に惹かれるのは何故だろう。そういうことから会話は始まるのではないか。
このメモの続きは、何処かで書かれなければなるまい。手に余るにしても、少しずつでも書き留めておきたいと思う。



TBS Media Research Institute Inc.