
No26.「見ること・記録すること/“僕の見た『大日本帝国』”」 |
2005.6.1 |
サハリン(旧樺太)をバイクで旅をしていた西牟田靖さんは、そこに残されている鳥居を発見する。何故、ここに鳥居があるのだろう?そこからかつて「大日本帝国」と呼ばれていた地域への旅が始まる。「僕が見た『大日本帝国』」(情報センター出版局)は、今年の2月に初版が出て、4月には4版となっているのでかなりの人が読んでいると考えられる。サブタイトルには「教わらなかった歴史と出会う旅」とあるが、教わらなかったであろうことを随分丁寧に調べている。何よりも、目の前にある人とものをきちんと正面から見る目線が良い。見たこと、感じたことを言葉にするときの素直な感性が良い。自分が日本人であること、つまり歴史を背負っていることを避けずに受け止め、その大事さを確かめている感じが伝わってくる。1970年生まれだから、この旅の始めの頃は30歳だったということだ。
「僕たちのおじいさんの世代が連れてこなかったら、おじさんもここにいなかったでしょう。すいませんでした」
朝鮮半島から労働力調達のために強制連行され、敗戦後、朝鮮半島に帰ることも日本に移り住むことも出来ないままにサハリンで一生を過ごすことになるであろう老人との会話だ。それで何かが解決することではないが、この言葉に出会ったとき、読み手の僕はほとんど感動した。
彼はこのサハリン旅行の後、台湾、朝鮮半島の二つの国、中国東北地区(旧満州)、そしてミクロネシアの島々を旅する。「大日本帝国」が支配し、統治したそれらの土地で、鳥居を探し、日本の残した建築や遺産を訪ね、各地に残る日本語に出会って衝撃を受ける。それは日本の「近代遺跡」を探す旅であったといえるだろう。そして、最後に8月15日と靖国神社に出かけその状況に立会い、そして翌日の8月16日の同じ靖国の日常の光景を確かめて4年間の旅行を締めくくる。
この本を中国や韓国の若者に読んでもらいたい、と思った。そこから、過去を捉え返ししつつ今を考える、そういう会話が成立するのではないだろうか。それは、西牟田靖さんのような感性から生まれる。僕は微かにホッとしている。
さて、もし仮に彼がテレビドキュメンタリーのディレクターだったらどうだっただろうか。少なくとも3〜4人のチームで取材が行われたであろう。その時出会った人々は、どのような言葉や表情を示しただろうか。彼が一冊の本として記録したような反応とは違うものになっていたに違いない。もちろん、だからといってテレビドキュメントが無効なのではない。それは、「テレビの嘘を見破る」(新潮新書)で今野勉さんが向き合った問題である。そうであるとして、しかし対象に向き合う姿勢や、あるいは問いかけの原点についてテレビドキュメントは西牟田靖さんが大切にしたものを失ってはいないか。例えば、何を問いたいのか、そして何故問いたいのか、そこで何を発見したのか、そして発見したことの確認行為、といったことを。
記録者も記録の中に記録される。当然だ。記録はまた表現でもある。記録=表現することの意味をテレビ制作者は再発見するべきだろう。テレビはテレビの可能性を放棄してはいないか。テレビが通信との融合やインターネツトとの関係を問われているときに、その対応の原点はメディアとしてのテレビジョンの可能性を見つめなおすことから始まるとのだと、僕は思う。
“Maekawa Memo”書き始めて1年が経った。アレコレと書き散らかしてみたが、2週に1回更新するのは結構大変だった。随分雑なものもあるが、メモだということでご容赦頂きたい。書くということで、いろいろ思っていることがいかに論理的でないかということを痛感する。「思いを言葉にすれば、何がしかは必ず嘘になる」というのは、福田善之さんの戯曲の台詞だったろうか。そんなことも感じている。それでも、そのときに書いておけば次に何かがつながるという確信めいたものも感じる。もうしばらく、続けていこうと思っている。
|