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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No30.「ルビコンからコペルニクスへ」 2005.8.1

 前回はインターネットとマスメディアの関係を整理してみた。補足すれば、これは「融合」と呼ばれる現象なのだが、技術的にはともあれメディアの関係で言えば、それは単に混ざり合うことでも、連動することでもなく、「入れ子構造」として形成された状況の成長を指すのではないだろか。図示すれば以下のようになる。



 一方、こうした議論と平行して地上デジタル放送を通信インフラ(光ファイバ)でIPにより再送信するという方針が提示された。素人の理解だが、IP伝送とは情報(この場合はテレビ放送)をパケット処理(情報を荷物とすれば、個々に荷札をつけ送り、届け先で荷札順に元通りにする)により伝送することであって、デジタルテレビ放送の信号処理信号のTS伝送(貨車あるいはトラック単位で決ま順番に送る方法)ではない、としておこう。
  何故この話が出てきたかといえば、2011年という時限的措置としてデジタル移行を完了させるために、中継局整備が困難と思われる地域(条件不利地域)は通信インフラを利用してカバーしようという意図による。また、こうした地域を抱える自治体からは、既存の通信インフラを活用しつつ地上デジタル放送を利用した公共サービスを期待するという要請もある。
 これについて民放連は以下の条件を提示した。(1)地域免許事業であることから、地域限定性(他のネットワークへの転送を含む)の担保、(2)サービスと技術における同一性保時(編成内容、技術品質など)、(3)当該地区全チャンネル伝送。以上を三原則とし、その他個別の確認事項があるが、それ以外の重要な課題としては著作権法においてアクセス行為が伴う情報の受信の場合、放送ではなく自動公衆送信とされることにより権利処理が異なることを指摘した。これらは実証実験として検証されることになる。
 ところが、この議論の場(情報通信審議会の諮問を受けた「地上デジタル放送の推進に関する検討委員会」)で「条件不利地域以外の地域(デジタル放送波のカバーエリア)においてもIP再送信を行う方向を検討したい」という発言が総務省からあり、「条件不利地域」という限定性を前提に漸く合意を取りまとめた当事者としては、相当に憮然としたのだった。総務省発言の趣旨は「デジタル移行のためには、あらゆる方法を追及すべき」ということなのだが、発言の場とタイミングを考えれば、後だしジャンケンでも勝ちは勝ちというしたたかな作戦とも思える。あるいは、2011年問題の深刻さに国としても「あらゆる手段を尽くす」という決意をした証ということなのかもしれない。地デジを理由に、出来ることはこの際何でもやってしまおうというようにも見える。合わせて、省内の通信行政と放送行政の融合ということもあるだろう。
 この手順には不納得の感は否めないが、一方「条件不利地域における実施条件」を提示した段階で「変化の激しいデジタル状況の中で、これは小さな一歩と思うかもしれないが、実は放送事業者にとっては大きな一歩という意味を持つ」と発言したのは、いずれこういう事態が来ることが予測されたからでもある。できればそれなりの議論と手順を踏んで合意を形成するというのが正当な対応であり、組織論としてもそうあるべきだ。だが、歴史的選択というのは突然訪れることもある。
 これから書くことは、結果として総務省の思惑を論理化することになるかもしれない。その恐れを回避するために、状況に任せて“なるようになる”のを見ていることもできないわけではない。だが、そのことを承知の上で、やはり言っておくべきことを言う時期に、デジタル状況は来ていると考えられる。
 繰り返すが、これは歴史的選択に属することである。
 地上民放が「デジタル化は不可避である」と言ったのがルビコン川を渡ったのだとすれば、今回デジタル波カバーエリアにおけるIP再送信に踏み込めば、それはコペルニクス的転回なのだと思う。その理由と背景は以下のとおりである。
(1) 「あらゆる方法で地上デジタルの視聴機会を確保する」ということは、デジタル状況(メディアの多様化)における放送の将来(視聴者確保)と言う観点において合理性がある。技術環境の変化に放送がマスメディアとして固有のサービスを維持するには、こうした踏み込みが必要なのだ。
(2) 「条件不利地域」に関して民放連が提示した条件は、答申案に概ね反映された。
(3) 条件不利地域のサービス確保のために通信インフラを機能させるには、その他地域でのネットワーク整備をあわせて行わないと、投資行為として成立しないという主張にも根拠がある。
註:それはこちらの問題ではないということも、そんなことは最初から分かっていたではないかということもいえるが、それが後出しジャンケンと言うものだ。残念ながら、ジャンケンのルールは向こうの手にある。
(4) 検討の場は「情通審」という公的場(いわゆる私的諮問機関ではなく、政府の公的審議機関)であり、そこではデジタル化に腰の重い民放に対する包囲網と言うべき状況が形成されている。もちろん、「放送の大義=放送波による放送」により断固戦うと言う道もあるが、デジタル移行そのものは放送課題であり、免許主体としての放送事業者の存在そのものが成立しなくなる惧れがある。国策とは、まさにこうした状況形成そのものをいう。
(5) IP再送信を容認すると何が不都合か。CATV再送信との不整合、著作権処理の問題、当面(2008年まで)HDTV伝送不可、などなど。確かに、こちらの都合で言えばそのとおりである。しかし、上記三原則などこちらの主張もそれなりに答申案に反映されているのだから、今後は実態的にどのような状況になるにせよ放送事業者がどれほどの力量を示せるかの問題である。デジタルとはこちらの都合だけでことが済むのではない。それが、アナログ時代との基本的相違なのだ。「融合」とはそういうことである。
(6) 地上民放事業者が最後まで譲れないのは「マスメディア免許事業(周波数の専有権者)として情報編集機能を保持すること」、「広告媒体としての機能」及び「産業基盤としての地域免許制度」である。それ以外は、何でもありと考えたほうが良い。
(7) 放送事業者がIP再送信の仕組みを主導的に構築し、その影響力を「融合状況」の中で行使するためには、逆転の発想が必要なのだ。
(8) ハード・ソフト一致原則とは、受信端末まで放送波でカバーするという古典的な議論から、融合といわれ多様化と言われる状況における放送の機能と経営をどう確保するかに至るまで、議論ははまだまだ続く。
 
  ルビコン川を渡るとき、カエサルには勝利の確信があっただろうが、地上放送のデジタル化は不可避であると民放連が決意したとき、今のような事態が到来するとは誰も思わなかった。国(郵政省/総務省)にも何も見えていなかったはずだ。そこから、私たちは随分試行錯誤を重ねてきた。これからも色々あるだろう。そうした中で、今回IP再送信を選択するとすれば、これはコペルニクス的転回というべきだ。角を曲がった途端に急坂がある、そんなことにたじろいではいられない。



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