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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No46.[表現者の距離感-「木村伊兵衛の13万コマ」] 2006.4.1

 「木村伊兵衛の13万コマ・よみがえる昭和の記憶」(NHK教育テレビ/3.18./90分)を見た。スナップ写真の神様といわれた木村伊兵衛は、人々の生活の相貌の、その一瞬を切り取ることで斬新なドキュメンタリー写真の世界を提示した。彼が残した13万コマの写真。一枚のネガを並べて焼いたコンタクト(ベタ焼き)の中から、何故その一枚を木村が作品として選んだのかを探るという番組だった。写真が好きなので、興味深く見た。
  代表作といわれる「本郷森川町」「神谷バー」「紙芝居」「母と子」「湯治場」など、ドキュメンタリー写真といっても、撮影者が被写体に正面から迫るのではなく、さり気なく切り取られたカットに固定された「生活」と「人間」に、この写真家の優れた感性、対象へのシャイな眼差しを見ることが出来る。手元にある写真集「木村伊兵衛の昭和」(ちくまライブラリー)を開いてみて、あらためてそう思った。生前「写真は、50年後、100年後に見られるもの」と語っていたというが、木村の写真は確かにそういうものだ。番組に登場した荒木経維は「ノスタルジーを感じさせない写真はダメだ」という。ノスタルジーは、もちろん見る側の感覚だが、確かに「時間の固定」とはそういうことなのだ。べンヤミンならメランコリーというところだろうか。

  木村伊兵衛が昭和19年に撮った「勤労動員」という写真がある。軍需工場で作業服の若い女性が4人並んで笑顔で写っている。この写真を見たテッサ・モーリス・スズキは、木村が戦時下でも「人間的なもの」を求めたことを評価しつつそれは、「それが逆に、木村を戦争の直視から回避させたのではないか」とコメントしていた。そうかもしれない。しかし、戦争を直視する写真とは何だろう。戦時下でも、人は笑うことがある。それをそのまま切り取ること、それが木村の方法(芸)だとすれば、木村も写真部主任として参加していた海外宣伝グラフ誌「フロント」に顕著に見られる「戦争のグラフィズム」とは違う写真表現を棄てなかったということではないだろうか(*)。スズキのインタビューは短いものだったので、発言の真意はよく分からない。ただ、木村は直視や抵抗ではなく、「芸」にこだわったのだと思う。自覚的か無自覚的かはともかく、それも一つの生き方だ。
  同じように、敗後直後の写真について「悲惨さを記録する写真が多い中で、木村の写真に写っている廃墟には明るさが感じられ、人々の復興への希望が描写されている」という批評があったが、それも違うと思う。明るい廃墟だから悲惨でありうるし、生活は生活なのだ。木村は、自分の生きている時代の、自分の見た光景を、自分の感性で「切り取る」という行為で記録=表現した。それは、被写体=他者の人生(生活)への微妙な距離感を感じさせる。
  「内灘」という写真がある(これは番組では登場しなかった)。基地闘争の典型であり、様々な形で報道され記録された内灘を、木村は人一人いない、おそらく軍事用に簡易舗装されたものと思われる道路と、その道路を歩く犬の写真として残している。犬のフォーカスはブレていて、犬の影と道路に焦点が合っている。写真は、内灘闘争のあった1953年に撮られている。しかし、この写真が闘争の最中のものかかどうか、写真からは分からない。何故、木村は内灘をこの写真として記録したのだろう。まさに、残されたコンタクトを見てみたい一枚だ。もし、内灘闘争の最中に撮られたとしたら、それが木村伊兵衛の「対象としての内灘との距離感」なのだ、と思う。

  さて、テレビ制作者は対象に対してどのような距離感で映像化という行為を行っているのだろう。もちろん、木村伊兵衛と土門拳と、小津安二郎と黒澤明と、あるいは篠山紀信と荒木経維と、今野勉、実相寺昭雄、久世光彦、宮田吉雄と、という風に表現者は夫々に対象と異なる距離感を持っているはずだ。それが表現者の生理であると同時に哲学であり、彼をしてどのような表現者たらしめているかの理由なのだろう。踏み込むか留まるか突き放すか引くか…。そして、それは自分との距離感でもある。この距離感がいかにして形成されるかは、本人の意識以前のものがあるだろう。しかし、その距離感を自覚的にとらえるところから、彼にとっての表現の自立が始まる。それは、時間と空間への関わり方であり、あえて言うならば政治=権力との関係に逢着する。表現行為における「方法」とはそのようなものであり、テレビ制作者もそれを免れらるわけにはいかない。
  だが、それは制作者に限定した問題設定ではなく、テレビ経営者を含めたテレビに関わる全ての人間が、どのような距離感でテレビと自分を位置づけているかにつながるのであって、そこからテレビ論があらためて問われることとなる。距離感とは、遠い近いということではなく、もっと意識的関係であることはいうまでもない。木村伊兵衛の写真は、このことに気づかせてくれた。これは結構大事なテーマになるような気がする。
*「フロント」については、「戦争のグラフィズム」(多川精一/平凡社ライブラリー)参照。また、「フロント」のグラフィズム表現におけるアバンギャルドの政治性については、柏木博が「肖像の中の権力」(柏木博/講談社学芸文庫)で優れた問題提起を行っている。

  ところで、「木村伊兵衛の昭和」に、「商家」という写真がある。撮影は昭和10年〜13年と推定されている。商家の座敷の様子が写っている。店の奥にある部屋だろうか。写真の中央から右手に帳場机。その上に大福帳置かれていて、手元の記録(手元は見えない)と照合しているらしい男とそれに直角に向いて座り算盤をはじく男。二人とも三十台だろうか。写真左手には手あぶりに肘をつき、煙管を手にして二人を見守る主らしい男。右手上の棚にはラジオが置かれている。中央上は神棚。左上の時計は1時10分を指している。部屋内なので、昼か夜か判然としないが、板壁の反射の具合から夜だと思われる。深夜に帳簿の確認をしているのだろうか。壁に掛かっている日めくりは「18」となっているので晦日ではない。その日の商売をしめてみて、帳簿に誤りがあったのだろうか。衣装から推測すると季節は春か秋。木村伊兵衛はどういう意図で撮影したのだろう。一日中この商家にとどまって「さり気なく」写真を撮っていたのだろうか。
  写真に写っている部屋は質素な雰囲気だ。だが、実はこの商家は相当に繁盛した反物問屋であって、敗戦で没落・解体した。何故そんなことを知っているかといえば、この写真に写っているのは僕の祖父と伯父たちだ、と教えてくれた人がいたからである。思わぬところで、自分の知らない過去を見せられたような気分だ。僕は自分の過去について、とても複雑で整理のつかないものが積み重なっていて、それを書き記すのも容易ではないという思いがある。そういう自分史を抱えていながら、こういう写真と向き合うと困惑する。ノスタルジーではすまないのである。そういうことが、僕の「距離感」に決定的な影響を与えていることだけは間違いない。それを何時か書くことになるのだろうか。



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