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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No49.「デジタル乱反射」 2006.5.15

 このメディアノートにも書いたが、最近読んだ4冊の本はどれもデジタル技術が社会に与える影響を、夫々の視点から摘出としている。
  デジタル礼賛の声は高い。もちろん言うまでもなくデジタル技術で情報処理(伝送・蓄積・編集)能力は革命的に拡大し、情報産業は飛躍的に成長している。数年前に当時の郵政省の会議で「デジタル化のメリットとデメリット」という指摘をした委員に対して「デジタルにデメリットはない」とたちどころに応えた委員がいて一瞬絶句したものだ。その後、ますます世の中はデジタルと融合が席巻しているようだ。
  デメリットかどうかは別にして、デジタル技術の影響は様々な分野に浸透しつつあることは確かだ。デジタルの影響についてこの4冊の本が提起している問題をあえて図式化すれば以下のとおりになる。こうした図式化は、夫々の背後にある取材に基づく情報や著述の論理構成を無視することになり、短絡の謗りは免れないが、この際敢えてこうした省略の手法で話を進めたい。そのほうがある意味で分かりやすいと思うからだ。



(1)と(4)は、デジタルの可能性について述べているが、その視点は対照的である。
(1)はデジタルとネットワークが、既成のジャーナリズムからの解放をもたらし民主主義の原点につながるものとして期待する。(4)はコンテンツ産業の巨大な支配力形成を支えた要因のひとつがデジタルだとしている。(2)と(3)はデジタルの危険なあるいは憂慮すべき側面を描き出している。(2)はデジタル技術による膨大な個人情報の収集・分析・管理は、たとえテロ対策という名目であろうとも、人々の知らない間に徹底した管理社会を進行させていると警告する。(3)は著作権とは表現の自由のために存在するのであって、企業による知的成果物の囲い込みはこの思想に反するものであり、パブリックドメイン(公共的成果物)化がデジタルコンテンツには不可欠だという。
 デジタル社会に関する数多ある本の中のたまたま読んだ4冊で全てを推し量るのは不遜というものだが、それにしてもデジタル社会をどのような視点で見るかによって、デジタルは実に色々な表情を見せることだけは確かだ。デジタル社会を考えるということは、こうした全体的認識、多角的アプローチが求められるのである。
 デジタルという技術は、譬えて言えば光のような直進的な性質を持つものではないだろうか。そして、それは真空状態を進むわけではなく、先行して形成されている社会の諸層にぶつかる時に、その対象の構造や性質あるいは運動により様々な屈折と乱反射を生む、そういう存在であるようだ。そう考えると、昨今の融合論のあり方もこうした発想から見直される必要があるだろう。融合論が専ら産業論的あるいはその延長としての政策論的な対象であることは、当然といえば当然なのだが、そのときにそれはデジタルのもたらす全てではないということを強く意識しないと、結果として歪曲された(という意識もないままに)影響力の行使をもたらすであろう。
 ということは、それ(「融合論」)への批判あるいは対論も、こうした観点からの提示が必要なのは言うまでもない。「融合論」の最大の功績は、こうした総合的な視点の必要性を要請したことにあるといえるだろう。
(以下、次号)



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