TBS-MRI TBSメディア総合研究所
home
メディア・ノート
    Maekawa Memo
No51.[職業と「形」] 2006.6.15

 アドリブでテレビのチャンネルを回して?いたら、「満映(満州映画協会)」のドキュメンタリーを放送していた(6.10.NHK教育「中国映画を支えた日本人」)。敗戦後、満映の人々のおよそ半数(80人程)が、中国共産党の要請でそのまま現地(満州=中国東北部)に留まり、中国映画制作スタッフの養成に努めたことは、「幻のキネマ・満映-甘粕正彦と活動屋群像-」(山口猛)や「キネマと砲聲・日中映画前史」(佐藤忠男)で知っていた(メディアノート/04.06.20.”意識産業・装置産業”)。
 番組の最初の20分ほどを見逃したのは残念だったけれど、日本人スタッフが参加した映画映像や生存されている関係者のインタビューなどの丁寧な積み重ねで、国共内戦当時の中国映画界の一端が窺えて興味深かった。番組は、編集担当だった岸冨美子さんを軸に構成されていた。
 岸さんは現在80歳。この方がとても素敵だ。背筋が伸びて姿勢が良い。穏やかで明瞭な語り口ながら、しかし深いところから感情が染み出てくる。内戦の戦況で一時映画制作が中断した時に、日本人スタッフも重労働に従事したこと、出産直後の長時間の編集作業の際に示された中国人監督の気配りのこと、当然作品はプロパガンダ映画だが、その中で日本軍の殺戮と収奪のシーンを編集する時の抵抗・困惑・躊躇などの錯綜した感情のこと、中国人スタッフにモンタージュの方法を教えた時のこと、などなど。それらを語る言葉、表情、仕草には、品位さえ感じられた。一つの職業を生き切るとはこういうことなのだ。プロであることとは、技量で一流であるだけでなく、その時その場で何を感じ取るか、どう向き合うか、そして何を選択するかということなのだ。
 生活者と指導者あるいは専門家(インテリとか知識人と呼ばれたものだが)という視点で人のありようを語られることがあるが、そこに「職業人」つまりプロであることという視点も大切なのだ。多くの人々は、「職」により生きていることの形を与えられている。その形を自覚的に、そして洗練されたものとして生きるのがプロなのだろう。
 思えば、テレビ局に就職して40余年経つ。その間「職業としてのテレビジョン」ということを考えないわけではなかったが、というより日々それを考えることがテレビとの関わりの通底奏音だったのだが、曖昧なものを抱えたまま今に至ってしまったという思いがある。最近デジタル問題にかなり深く関与するようになって、漸く自分にとってのテレビジョンの意味が見えてきたように思う。遅すぎるとはいえ、それはそれで仕方がない。企業に籍を置くかどうかは別にして、テレビを考え続けるプロになりたいと思い始めたところなのだ。
  プロにも二通りの存在があるらしい。一つはまさしく職業に徹することであり、自己と職とをピッタリ一致させることで「形」を磨き上げるプロである。「形」から現実を切るということもあるだろう。もう一つは、自己と職との間の違和を常に意識し、しかしそのことがプロへの道を探る動機となるようなタイプである。こちらの形は不定形のようなものだ。前者はシングルスタンダード、後者はダブルスタンダード。どちらも魅力的だが、どちらも容易ではない。僕の場合は、ダブルスタンダードに磨きをかけるしかない。



TBS Media Research Institute Inc.