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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No53.「佐々木守さんのこと/テレビの一回性」 2006.7.15

 「佐々木守さんを偲ぶ会」に出席した。脚本家として手がけた作品の多さとジャンルの広さは圧倒的だ。ラジオ時代の仕事は置くとして、初期のテレビ映画ウルトラシリーズや「柔道一直線」「コメットさん」アニメ「アルプスの少女ハイジ」「七人の刑事」「お荷物小荷物」「『赤』シリーズ」ドキュメント「万里の長城」などなど。僕個人としては、特に、「お荷物小荷物」が好きだった。テレビって面白いんだ、と思いながら毎週観ていた。
 僕が現場で最初に一緒に仕事をしたとき、こちらは「アノ佐々木守サンとはこの人か」という出会いだったが、ご本人はそんなことはどうでも良かったのだろう。原稿用紙は200字詰め、愛用のシャープペンシルで機関銃のように書きまくっていた。「今回の本はチョッと長いので、このシーンとこのシーンを刈り込みませんか」というと「じゃカットしましょう」という。作家の書いたものを少しでも活かそうと思っていても「短くするならこのシーンはなくていいよ、話はつながります」といわれると「じゃそうしましょう」ということになる。

  脚本家には、「物語作家」と「台詞作家」がいるらしい。前者はストーリーの大きな展開を構想して(少なくとも進行形であれそれを想定して)本を書くタイプ、後者は登場人物にどういう台詞を語らせるかを考えることでシチュエーションを作っていくタイプ、決め台詞はこういう作家の本に多い。佐々木さんは、典型的に前者だったと思う。台詞が下手というわけではない(が、ホントのところ上手くはない)。しかし、役者から見れば「アア、ここでこういう台詞が言いたかった、これこれこのセリフ」というのではなく「ここでこういう台詞を言わされる、そういう役(目)なんだ自分は」と思ったであろう、と想像する。役者にとって、そこで作家のつもりとは別の発見と飛躍がある。余り芳しい結果を残せなかったディレクターの僕は、それでも「演出とは、(1)本に書かれた状況を具体的に設定し、芝居の距離と速度を決めること、(2)映像化とは、(1)で進行する時間と空間の切り取り方と重ね方に自分の思い(メッセージ)をどうこめるか」ということだと思っていた。当り前過ぎて演出論というほどのものではないが、そういう意味で佐々木さんの本は面白かった。

 佐々木さんは、戦後民主主義が好きだった。佐々木さんの本で僕が制作演出した「日本国憲法殺人事件」(このタイトルは大胆過激すぎるというのでサブタイトルにされてしまったが)という2時間ドラマは、ラストで犯罪者の恋人同士の前で、娘の父親が「憲法第24条 結婚は両性の合意のみに基づいて成立し…」と読み上げ、二人の結婚を認めるという話しだ。山田風太郎さんの短編推理小説2作を原作に、佐々木さんが大胆に戦後史の断片を組み立てて構成したものだった。
 僕も風太郎さんは好きだったが、佐々木さんはそれに輪をかけて執着していた。何しろ、ラジオドラマで風太郎の忍法帖のシナリオを書いていたのだから、それはそうだろう。だから、ドラマの台本を原作者の風太郎さんに送った返事の葉書に「無関係な二つの短編が組合わさり、骨格の大きな話に変身しているのにひたすら驚いております」と書いてあったのを見て、「その葉書僕に頂戴よ、脚本のことを褒めてるんだから」と子供のように言っていた。「それはダメだよ、だってこれは僕宛の葉書なんだから」といって僕は渡さなかった。その葉書は台本とともに、今僕の手元にある。佐々木さんにあげればよかった、と「偲ぶ会」でいろんな人の佐々木さんへの思いを聞きながら思ったのだった。

 そのドラマのときだったと思う。なにしろ仕事なんだから脚本料を決めなければいけない。金額は忘れたが、何の問題もなく話はついた。事件?はその後に起こった。
「佐々木さん、それで再放送料のことなんだけど、決まりの料率でイイ?」
「僕は再放送料なんていらないヨ」
「だって、佐々木さんは放送作家協会(シナリオ作家組合だったかもしれない)に入ってるでしょう。そことの協議で決まってるんだ」
「それはそうかもしれないけど、でも僕はテレビは1回きりのものと思ってる、僕の本は売り切りなの、だから再放送の金はイラナイの」
「テレビの1回性は僕もそう思うけど、再放送されたら払うことになってるんだ」
「再放送でも何でも良いけど、一度放送された後のことは僕には何の興味も関心もないんだ、だから好きにしてヨ」
「ウーン、ちょっと著作権担当に聞いてみる」
とここで著作権課に電話。
「やっぱり、放作組との関係でまずいんだって、それを認めると他の作家の場合の前例になるって言われるらしい」
「ヨシわかった、僕が放作組に確かめる」
と、ここで今度は佐々木さんが電話。
「モシモシ、佐々木守です、今TBSで再放送料のことで話してるんだけど…(以下中略)…アッそう、分かりました。そういうことなら、僕の考えと違うので放作組を辞めます。脱退届けは後で郵送します」ガチャン…。
「アッ!」
「これでイイよね」
「ウッ…」

  1. テレビは1回切りのものである。
  2. 自分の考えと相容れない組織に留まってはならない。
 佐々木さんはそういう思想の人だった。

ほんの数年前、佐々木さんにあったとき糖尿病の初期だといっていた。糖尿病は眼に来るから早くチャンと治療しないとだめですよ、と念を押したのだが、結局最後はほとんど見えなくなっていたという。もっと強く言えばよかったと心残りだった。「偲ぶ会」の最後に、佐々木夫人が「最後の最後まで、『オレは我慢するということがイヤなんだ』といってビールも飲んでました、幸せな人生でした」と挨拶されるのを聞いて、少し救われた気がしたけど、改めて思えばやっぱり我慢をしてもらったほうがよかったのではないか、と思いながらこの原稿を書いている。そして、戦後民主主義は終焉した。



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