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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No57.「日高方式の現場で考えたこと」 2006.9.15

 北海道の中継局の現場を見てきた。その一つが阿寒局で、典型的な日高方式(自治体が建設し免許は放送事業者という、日高地方で最初に採用された方式)の中継局だ。幹線道路からわき道に入り、そこからはランドクルーザーで急勾配の、道と呼べるかどうかも怪しげな木立の隙間を1Km程登る。NHK2チャンネルと民放4チャンネル共同の勿論無人の小屋がひっそりと建っている。現場までの困難度でいうと中程度だそうだ。今回視察した幾つかの中継用の施設の中には(例えば阿寒湖畔局)、放送波を峠の反対側で受信し、そこから地下埋設のケーブルで中継施設まで伝送してきて、放送波送信しているところもある。天気の良い夏の日のことだから、ものの数分で現場に到着したが、こういう場所に来なければならないのは、台風や大雪によるトラブル時だから、最後は機材を持って徒歩にならざるをえない。
  北海道でなくても小規模の中継局は似たような状況にあるのだろう。ただ、北海道はこうした中継局やミニサテと呼ばれる更に簡易な送信設備を併せると、民放4局は夫々約160局の施設で放送波中継によるテレビ放送を行っている。これを釧路・帯広、網走、旭川、函館、室蘭、札幌管内という6地域程度に分けて、夫々一人のエンジニアが担当しているという。勿論、機材の運搬や改修工事は、委託業者と一緒に対応するのだが、それにしても相当の広さの、そして相当の数の施設を一人の担当者が管理するというのは容易ではなかろう。インフラ維持というテレビ局の最も地味な作業の現場を見てやっぱりチョッと感動した。
  北海道の民放各局はこの約160の中継局の内、自前局(放送事業者が建設した施設)という約60局をデジタル化することにより、対アナログカバー比率で98%を達成できるという。残りの100局が2%にあたるということだ。逆に言うならば、自治体はテレビを見られるようにするために自ら中継局建設を行ったのであり、それだけ住民のテレビへのニーズが高いということでもある。そこには、過疎対策という面もあったに違いない。
  市場主義的に考えれば、この2%は経営の外に置かれる。けれども、放送制度から見ればこの2%も「あまねく普及(努力)」の対象である。自治体にデジタル対応の財政能力がないとすれば、放送事業者にこの「(努力)義務」が課せられる。放送が常に産業政策と公共政策の狭間に立たされる現場が日高方式なのである。旧国鉄の民営化は、経営選択により赤字路線を斬り捨てた。NTTでさえ、ユニバーサル・サービスから解放されようとしている。では、何故放送について「あまねく(努力)」の放棄が議論されることはないのだろう。それは、放送事業者が免許に基づく情報主体であるからだ。ということは、全ての国民に対して知る権利を制度として担保しようとしているのが「あまねく(努力)」の意味するところなのであり、これを逆から見れば、国はこのことで社会秩序の維持を放送に要請しているのである。通信と放送の総合的法制度の検討において、レイヤーごとの規制体系がその対象となるとして、「あまねく義務」はどういう位置づけになるのか。「あまねく」が継続して制度化されるとすれば、それは当然ハード事業者に課せられるものと考えられるが、ではその場合市場原理とは異なる経営原則が求められるが、それはいかなる論理を根拠とするのだろうか。
  地デジはこうした問を残しつつ進展する。放送事業者の中継局自力建設の対アナログカバーエリアの比率は、全国平均で99.3%だという。これほどの自力達成率になるとは誰も予測しなかった。これはもちろん事業者努力であるが、それと同時に「事業者努力を求める政策」によるものだ。つまり、官の努力でもある。しかし、ここから先は正に「アナログ終了のための政策」そのものの問題であろう。中継局、ギャップフィラー、共聴ケーブル、その他あらゆる手段の組合せについては、地元放送事業者は最も合理的な選択肢を提示することが出来るとしても、最終的には社会的コストの原資として「税=予算」のあり方にかかわるのであって、これは「民」の判断を超える。目標は「2011アナログ終了」であり、その意味で、「官」もまた試されている。

  ところで、一方では「地デジ」は本線としてのテレビ視聴の外延に、PCによるテレビ視聴やサーバー型TV、そしてIPTVなどの新たな映像環境を生み出そうとしている。こうした「融合型」あるいは「ベンチャー型」のビジネス領域では、新旧の参入者が主導権の確保を目指して鎬を削ることになろう。そうした動きは、既に始まっている。北海道に限らず、地理的環境の厳しい中継局がカバーしようとしている数十世帯(場合によっては数世帯の)集落で、おそらく老人たちがひっそりとテレビを見ている光景と、キーボートを叩いて高度なデジタルサービスを駆使する風景との双方にテレビジョンは向き合うことになる。テレビジョンというメディアのあり方を、私たちは自ら問い直さなければならないが、それは放送政策のあり方の問い直しにつながる。現在の制度で可能な施策を実行するのが行政というものだが、同時に現在の制度が状況に対応できていないとすれば、それは何故かを考えるのも官の仕事の内であろう。「官主導」が良いとは言わないが、状況の本質を見極めて的確な判断をする優れた官は必要なのである。
  ところで、「通信・放送の総合的な法制体系に関する研究会」が何をどう検討するのか、有識者学者の見識に委ねられているが、一度山間僻地あるいは離島の現場を視察することをお勧めしたいところである。



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