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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No61.「80年代が気になる」 2006.11.15
 
 このところ80年代とは何だったのか、その文化的・思想的意味を問いかける本を続けて読んでいる。宮沢章夫「東京大学『80年代地下文化論講義」』(白夜書房)、東浩紀・大澤真幸・北大暁大・宮台真司「波状言論S改-社会学・メタゲーム・自由-」(青土社)、東浩紀「動物化するポストモダン・オタクから見た日本社会」(講談社現代新書)、など。
 僕が制作現場を離れたのが84年。その少し前から、世間とのズレをなんとなく感じていた。つまり、70年代まではそれなりに(違和も含めて)時代との接点を意識してきたのだが、そうした共有感を喪失したということだ。ポストモダン、新人類とニューアカ、パルコ文化、オタク、そしてテレビの”フジテレビ化”現象…。浅間山荘事件で一つの政治と思想のサイクルが終わったと思っていたが、その余韻ともいえる空気が漸く80年代で完全に入れ替わったのだろう。そして、とどめを刺したのは、世界史的には89年のベルリンの壁の解体だ。その間、僕は山田風太郎と堀田善衛を読んで過ごしていた(このことは、また別に書くことになるだろう)。
  状況から二周くらい遅れて、構造主義やポスト構造主義の解説書を読み始めたのはその後(90年代)だから、随分なズレである。だから、上に挙げたような80年代論を読んでいて、「アアそういうことなんだ」と感心することも多いし、「ヤッパリ分からないなァ」ということも沢山ある。が、一言で言えばとても面白い。ジグソーの断片が少しずつ填っていくような気分だ。
 さて、そのオタク世代が既に社会の中堅となる年齢になっている。企業内は勿論のこと、ベンチャー・ビジネス分野でも(例えば、ヒルズ族)、そしておそらく行政や政治の世界でも(若手官僚や××チルドレン?)、彼らは層としての力を持とうとしていると思われる。彼らは「戦後的枠組み」にとらわれないで発想する。別の言い方をすれば、「民主主義」と言ったときに、僕たちは一方では「何であれ、誰もが等しく享受するべき」と思いつつも、他方では「民主主義も一つの権力のあり方だ」とも思っている。多分、こうした多層的な受け止め方を彼ら(の多く)はしない。ただ、「自由であること」に意味を見出しているのだろう。
  □□懇談会や△△委員会の力学は、当然のことながらそのリーダー(諮問主体、座長、主査)たちの意図を含めて政治的なものなのだが、そうした場を形成し何らかの提言をしようとするところまで、こうした層は成長し影響力を持とうとしているのだと思う。だから(と、ここで話は飛躍するのだが)、「融合論」は技術の問題ではなく、また産業政策やビジネス・スキームの問題でもなく、それらを還流する文化(それを「オタク型」文化あるいはポスト・ポストモダン?と呼ぶかどうかはともかく)や意識の問題なのである。彼らはそれだけ今ある枠組みから自由なのである。「融合論」の土壌は80年代に起こった意識の地殻変動にある、という訳だ。そう考えると、「融合問題」とは日本の現在をどう考えるかという思想の問題だということになる。

したがって、更に飛躍(短絡?)すれば問題はこうなる。
1. 戦後の70年代までは何だったのか、という評価が必要だ。
彼らが、そこにとらわれない(乃至は否定的である)とすれば、それゆえにこそこれは必要だ。
2. その前提として敗戦の思想的総括があるべきだ。そうでないと、この国のアイデンティティーの不在を丸ごと背負ってしまった彼らは、容易にナショナなものに回帰するであろう。
3. この二つを曖昧にしておくと、技術信仰による経済主義と「戦後清算志向」がない交ぜのまま進行するだろう。
4. こうした視点を提示(例えば「自由と管理」についての問題提起)しようとしているのも、80年代を思想形成の過程として経験した彼等の中にあるのだから、そうした作業に注目するべきだ。
5. 以上をテレビの問題に引付ければ、戦後過程におけるテレビは政治的及び社会・文化的に何をしてきたかを考えることである。
6. その上で、80年代という構造的転換期を席巻し、そしていまもその延長にある“フジテレビ化”現象をどう受け止めるか、が問われる。
7. 一言で言えば、テレビはポストモダン現象と添い寝をしたが、それはいったい何んだったのかということだ。
8. ここを抑えないと「融合現象」に対応できない。マスメディアは民主主義社会のシステムを構成する、ということだけでは有効なカウンターになりえない。カウンターとは、否定ではなく有効な反・提言である。
9. その意味で、情報通信の経済学ではなく、政治学が必要なのである。
10. デジタル時代のテレビの在り方を考えるということは、このような幅と深さが必要だということなのだ。「融合現象」は進行する。テレビジョンはそれにどう対応するか。それは、総体としてのテレビの思想の問題なのだ。

  かくして、80年代問題はテレビの現在とその延長を読み解くための重要なファクターなのである。だが、それにしても今回は相当に雑なノートだ。もう少し考えて行きたい。とりあえず、そういう目線で「日本のポップカルチャー」(中村伊知哉・小野打惠/日本経済新聞社)を読んでみようと思う。



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