 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
|
|
 |
|

No63.「気になる人たち」(2) |
2006.12.15 |
西谷 修 1950
平和国家志向という戦後過程の中で、「戦争論」というカテゴリーで現代を問う行為は異色ともいえるが、その「現代」は戦争から生れた時代であり、かつ湾岸戦争以後(東欧圏の解体に伴う戦闘も含め)を新たな「戦争の時代」だとすれば、やはりそれは優れて根源的なテーマであろう。「夜の鼓動にふれる-戦争論講義-」にある「(テクノロジーの進化に内在する)不条理な否定性」という一言は重い。
加藤典洋 1948
戦後世代による戦争及び戦後過程の総括と言う意味では、先行的な作業をした人だと思う。残念ながら、そうした行為が社会的な力を持ち得ないままに、政治の側からの総括過程に入っているのが現在だといえよう。次に彼が何を発言するのか、興味深い。
藤原伊織 1948
この人の作品は何故か好きだ。特に、会話の文体は絶品だ。ミステリー分野を手がける以前に「ダックスフントのワープ」という作品があるが、そのシュールな感覚が、今でも随所に散りばめられている。短編「雪が降る」が特に良い。次作が楽しみ。
西垣 通 1948
個人的に言うなら、コンピュータというものの存在が気になりだしたのは世の中に比べると大分遅れていたのだが、そのときに読んだのが「ペシミスティック・サイボーグ」と「デジタル・ナルシス」だった。コンピュータを思想として考える人がいるんだということを知って、この世界がとても近いものに感じるようになった。「IT革命」や「基礎情報学-生命から社会へ-」など、情報論を自然科学から社会学的に展開しようとしている。
岩井克人 1947
「貨幣論」「ベニスの商人の資本主義」「二十一世紀の資本主義論」など、資本主義経済論、貨幣論を分かり易く且つ原理的に語ってくれるのはありがたい。最近は、「会社はこれからどうなるのか」「会社とは何か」など、法人についての考察が続く。とはいえ、「言語、法、貨幣が人間の本質」(「資本主義から市民主義へ」)だというのだが、果たしてそうか。
柏木博 1946
デザインというものの面白さについて、この人と多木浩二の書物から随分教えられた。ロシアアバンギャルドが戦略的に使い始めたクローズアップや遠近法的な画面構成法は、戦前の日本のプロパガンダ(例えば、対外向け写真誌「FRONT」)だけでなく、戦後のアメリカ大衆映画の宣伝手法に引き継がれているとした上で「形式が同一なら、その表現の意味は基本的に変わらないのではないか」(「肖像の中の権力」)という…こういう切り口に出会うと「ウーム、なるほど」と思わず唸ってしまう。
今村仁司 1942
冷戦構造崩壊後の混沌とした世界をどう考えたらよいのかと思っていたときに、「現代思想の系譜学」、「近代性の構造」などに出会った。近代思想から構造主義、そしてポスト構造主義などについて切れ味良く論点を提示してくれる。一知半解のレベルとはいえ、何とか現代の思想課題について行こうと思うのは、その時の読書体験のおかげだ。
ここから後は、同世代と先行世代の人々だ。こういう人たちが、元気でいることは素敵なことだ。一言コメントでいこう。
山本義隆 1941
「磁力と重力の発見」は、縁遠い物理学の歴史を興味深く読ませてくれた。本人がどう思おうと、東大全共闘議長とこの一冊の間の40年を思ってしまう。
平岡正明 1941
「韃靼人宣言」以来、この人の文体は魅力的だ。ジャズと梁山泊が革命の原点だという。浪曲、新内、落語、と縦横無尽の語りは尽きない。
長田弘 1939
20代前半に「叙情の変革」を読んだときの新鮮な衝撃を忘れられない。吉本隆明や谷川雁を読んで過ごした学生時代でも、現代詩というのは少し遠いものだった。それをほぼ同世代が、こうも鮮やかに批評するのにただただ感服した。
野口武彦 1937
江戸(特に幕末)を対象に文学から歴史に切れ込んでくるスタイルは、味わい深いものがある。歴史から取り残された人々への心情が、そう感じさせるのだろうか。
最後に。いま、メディアのことを社会構造や現代思想との関係で考えるようになった、そのきっかけを与えてくれた研究者を一人。
水越 伸 1963
90年代後半に、とある研究会で同席したときに知り合った。その後「メディアの生成-アメリカラジオ動態史-」などの論文で、メディアを考える幾つかのキーワード知ることになる。「新しいメディァは、先行するメディアとの関係で自らのポジションを選択する」「インターネツト至上主義とテレビ天動説」など、彼の語った言葉はその通りではないかもしれないが、こうした提起を手探りにして、デジタル時代のテレビのあり方を考える入り口として貴重だった。
テレビ論で言えば、重延 浩(1941)、村木良彦(1936)、今野 勉(1935)といった人たちを外すわけには行くまい。だが、それはまた別の機会にしょう。
…そして、実相寺さんは逝ってしまった。
どうぞ、良いお年をお迎えください。
|
|