
前回、「(1)放送局の経営、(2)組織としてのメディア、そして(3)メディアに関わる個人の三者の間の緊張関係が成立し、そのことで放送局は放送局として自立することが可能になるのである」と書いた。この関係を成立させ持続させるためには、メディアに関わる個々人のモラルだけでなくスキルが必要なのである。
スキルとはテクニックではない。ディレクター・プロデューサー・記者たちは、取材や番組制作において「何をしなければならないか」あるいは「何をしてはならないか」を判断しなければならない。その判断は、スタッフ組織を機能させ、作家・作曲家・出演者なとのパートナーをコーディネートし、適切にコストを投下し、より多くの視聴者にメッセージを届ける、と言う作業と平行して行われる。制作者としてのこうした作業と判断をスキルと言う。このような行為の積み重ねがメディアの信用につながる。つまり、経営と組織と個人という異なるベクトルで構成されるテレビメディアにおいて、「表現」あるいは「メッセージのデザイン」を「社会的=メディアの信頼性」として成立させる方法、それをスキルという。
メディアと媒体という言葉の違いを意識して使い分けようとすることと、プロにとってのスキルの問題を考えることは共通する。なぜならば、媒体は物理的な手段だが、メディアに関わることはメッセージを伝えることと一体であるからだ。このことを表現者としてどう受け止めるか、そこに職業として放送を選ぶ(放送局に就職すると言うことではない)ということの意味がある。
メッセージの伝達は表現行為である。個人における表現の自由とは、虚偽・誹謗中傷・名誉の毀損などを犯してはならないことを前提にしていると考えられる。表現の自由は、マスメディアであるテレビにとっても基本原理であり、いうまでもなくこれらの前提は厳しく守らなければならない。その上で、社会的に伝えられるべき情報を提供すること(「知る権利」に応えること)が放送の役割だとすれば、いわゆる「社会的影響力」の観点から、よりいっそうの注意深さが求められている。
ところで、「放送は自己の情報を伝送し、したがって情報編集責任を有する」のであって「他人の情報を伝送する通信」とは原理が違うと、「融合論争」でしばしば放送は言ってきた。しかし、その自ら編集する情報も自ら作り出すことは少なく、ほとんどは他者の情報の集約・加工・編集による付加価値の創出である。だから、他者から提供された情報について極めて謙虚に対応する必要がある。いうまでもなく、報道においては「情報源の秘匿」という原則があり、また制作全般においてはさまざまな他者の著作権の許諾により番組が成立するのであるから、権利の保護についていくつもの契約関係が必要とされている。しかし、それだけではなく、番組制作の過程では個人が提供する情報(知識、資料、発言、など)が重要な意味を持つことがしばしばであるため、こうしたケースについても「情報」というものに抑制的でなければならない。一言で言えば、「放送は人様のおかげで成立している」のである。それぞれの情報は、私人である情報提供者にとっては、替えがたい価値がある場合もあるのである。著作権になぞらえていえば、それは財産権ではなく人格権の問題なのだ。こうした問題にキチンと向き合い、的確に処置することもプロのスキルなのである。
放送の世界では、仕事に必要な知識や方法は経験的に習得される場合が多く、それが人材育成の最大の研修とされる傾向がある。カッコよく言えばJob on Training ということになる。最近では、それに加えてマニュアル化が一般化している。もちろん、どちらも欠かせない方法だが、しかし何よりも大事なことは、自分の職業がメディアに関わるものであり、そのメディアはどのような機能と仕組で成り立っているのか、そしてそこで仕事をする意味は何なのかを考えることである。考えることの意味を教えることは難しい。また、仕事の多忙さ、あるいは面白さが考えることを忘れさせる。「考えてないで足を使え」というのもそのとおりである。だが、テレビのことを誰が考えるかといえば、自分で考えるほかないのである。そこからしか、プロのスキルは生まれない。
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