TBS-MRI TBSメディア総合研究所
home
メディア・ノート
    Maekawa Memo
No72.「星の林に月の船」 2007.4.15

    天の海に 雲の浪立ち 月の船
    星の林に 漕ぎかくる見ゆ
柿本人麻呂

 おおらかな良い歌だ。万葉人はこんなふうに自然に抱かれていたのだ。
 
  昨年末に亡くなられた実相寺さんの奥様(女優の原知佐子さん)から、「星の林に月の船・怪獣に夢見た男達」の再版本をお送り頂いた。扉にこの歌が載っている。テレビのことをアレコレ考えるときに、もう一度読み返したいと思っていたのだった。初版本は誰かに貸したまま行方不明になっていて、実相寺さんには生前に「手元に残部があったら分けてください」などとお願いしていたのだが、急逝されるという思いもかけぬことになり、そのままになってしまったのだった。そういう思いもあって、早速読み通した。
  その頃、つまり60年代半ば、実相寺さんがテレビ演出からテレビ映画に転じ、そして丁度僕が就職した頃のテレビ界の状況のことは、「新・調査情報」に今野勉さんが書き続けている「dAの時代」に詳しい。思えば面白い時代だった。何故その時代が面白かったかといえば、「戦後的」なるものと「戦後・後的」なるものが時代の空気として入れ替わろうとしていて、不連続線による大気の不安定状態に似た乱気流のように刺激に満ちた時代だったせいだろう。一言で言えば、後に「55年体制」といわれる時代が生れようとしていた状況であり、そこには政治的にも文化的にも様々なベクトルがひしめき合っていたのだと思う。
 「戦後的」なるものとは、戦後民主主義であり、進駐軍であり、DDTであり、「鐘のなる丘」であり、赤バット・青バットであり、ジャズであり、六全協であり、「羅生門」であり、などなどである。「戦後・後的」なるものはといえば、一方では、ブントであり、吉本隆明であり、フォーク・ソングであり、「ねじ式」であり、ベ平連であり、他方では、「平凡パンチ」であり、無責任男であり、団地であり、ビートルズであり、横尾忠則であり、などなどである。挙げれば限りなく出てくる。そこには、個人差も地域差もあるが、とりあえずこの程度にしておこう。ついでに言えば、新宿はそれらのすべてが集約されている都市だった。
  敢えて図式的に言えば、「一方」の傾向は、全共闘運動を経て浅間山荘事件で区切られる。「他方」の流れは、70年代を支配し80年代のポストモダンに継承される。70年代はそれまで持続されてきた政治と文化の緊張関係が、解体し始めた時代であり、80年代はそれが決定的になったということだろうか。テレビの世界では、トップがTBSからフジへと交代し、情報発信の街は新宿から渋谷に移動する。
 こういうふうに思い起こすと、「星の林に月の船」は、テレビ局やテレビ映画の世界における時代の空気の入れ替わりを反映していて面白い。「dAの時代」は多分テレビマンユニオンの結成で終わるのだろうが、ほぼ同時に実相寺さんもテレビを離れることになる。テレビマンユニオンに参加した人々も、実相寺さんも、テレビ局という組織と表現者としての個人という関係を乗り越える決断をしたのだが、そこには当時は自覚されることのなかった時代の変化が滲んでいる。
 一つの事件、例えば60年安保という時代を画する局面や、TBS闘争と言うテレビメディアそのものを関わる出来事は、その事象というよりそこから波及する様々な反応が時代を変えていく。黒船来航も敗戦もみなそうなのだ。そうだとすれば、いま僕たちはどういう時代の変化の中にあるのだろうか。
  そういうことを、「昭和史探訪」(半藤一利編著・文春文庫/全6巻)に編みこまれている資料を読みながら考えている。柄谷行人氏は「<戦前>の思考」のあとがきで、「実際に戦争があろうとあるまいと、自分を<戦前>において考えること。そのとき、文字通り戦前の思考が意味を持つ。それを単に否定するのは不毛である。戦前を反復しないためには、『<戦前>の思考』が必要なのである」と書いている。
 人はその時に何が起こっているかの全体を、そしてもちろんそれを正確に知ることは出来ない。後から「アアそういうことだったんだ」と思うしかないし、また「そうではなくて、実はこういうことなんだ」という人も出てくる。歴史とはまことに意地の悪いものであり、だからこそ歴史を読み解く思考力と想像力が必要なのである。テレビジョンも、そのように向き合うほどの歴史を背負ってしまったのだ。「星の林に月の船」も「dAの時代」も、テレビが背負うべき歴史を語っている。僕たちも、それぞれに背負ってしまったテレビジョンについて語らなければならないと思うのだ。



TBS Media Research Institute Inc.