TBS-MRI TBSメディア総合研究所
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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No76.
「メディアと権力・再考/ネット事業者のテレビ局経営参入について」
2007.6.15

  Web2.0に関する本を読んでいる(遅ればせながら、と付け加えておくべきだろう)。「ウェブ進化論」(梅田望夫)は「何が起こっているのか、その構造はどういうものなのか」をとても分かり易く教えてくれた。アマゾン、グーグルがポスト・マイクロソフトとして成長してきた理由など、なるほどと思った。一方、「ウェブ社会を生きる」(西垣通)は、西垣さんの仕事の中間総括であろう「基礎情報学」の論理を踏まえ、ウェブ2.0と呼ばれている現象の情報学的意味を説き明かしている。西垣さんの本は何冊も読んでいるので、論理の展開が良く分かった。
 「ないものねだり」というべきだが、この相反する二つのウェブ社会への考察に登場しないのは、「権力論」(と「身体論」と思われるが、これについては別途)である。西垣さんには、それに触れる契機はあるのだが、テーマとして踏み込まれていない。梅田さんの発想には、そもそもこの問題が射程に入っていない。だが、これからのウェブ社会(ネットワーク社会とも、あるいはデジタル社会と言っても良いのだろう)を考えるときに「権力」というテーマは欠かせない(この場合「権力」とは、民主主義が権力の一つのあり方であるように価値中立的概念である)。そう考えるのは、次のような理由からだ。
 インターネットの特性は「越境性」にあるのであり、それはメディア間の流動性というだけでなく、文字通り国境を越えるということだ。それまでの電気通信による情報配信は、行為規制であれ所有規制であれ、国家による権力行使の対象だった。しかし、インターネットは「気がつけば」国家管理を超える存在に成長してしまった。インターネットによる情報交換をこれまでの手法によりコントロールすることはほぼ不可能である。それにも拘わらず、権力は情報を管理しようという志向を放棄することは出来ないはずだ。なぜならば、それは国家を構成する基本的要因だからである。そうであるならば、インターネットと国家との間にいかなる権力行為が成立するだろうか。この問いは、冷戦構造解体後の世界政治の状況と関係する。国民国家型の国家で構成されてきた国際関係の変容(例えば、一方ではEUの成立、他方では中東の液状化、等)とネット社会の関係はすぐれて現代的課題である。
 その上で、さらにこの問題が複雑なのは、インターネットの越境性は経済のグローバル化、国際資本による市場主義経済の展開と同期するからだ。経済の流動化は国家の権力行使を制限するように働く(国内的には「小さな政府)論)ように見える。しかし、それは主導的な立場に立てない国家に限らず中心的国家でさえ、国家そのものの消滅を選択することはない。なぜならば、国家という共同秩序の維持は国家の自己目的だからである。国家が物理的な支配システムであると同時に一つの共同幻想であるとするならば、そこにはなんらかの意識の共通性が必要なのであって、そのときメディアは常に政治と不可分の関係におかれる。権力がそれを求めるのであり、インターネットもその埒外ではありえない。
 マスメディアは出自のときから、国家との関係を問われあるいは自ら問い続けてきた。それが、マスメディアの存在理由でもある。国際関係の流動化、市場経済のグローバル化、そしてインターネットという越境性を特性とするメディアの登場は、マスメディアの存在理由を問い直し、新ためてメディアと権力との関係を論理化することを迫っている。おそらく、国家とマスメディアの距離はおのずから接近するというベクトルが働くであろう。何故ならば,近代国家とマスメディアは共通の歴史的な場で成立したからであり、その双方が市場経済とインターネットにより「場」の変容に向き合いつつあるからである。そのことに、どのような緊張関係を成立させるか。現在、マスメディアの困難さはデジタルネットワークの成長による「融合」現象に対して、どのような経営選択をするかということに加え、マスメディアの存在理由の問い直しという行為を重ねなければならないということにある。 「言論表現の自由」「放送は文化」などなどの古典的論拠の鸚鵡返しではなく、そのレビューを原理的に行わなければならない。デジタル時代のメディアの自立とは、そういうことなのだ。
 いま、メディア政策は圧倒的に経済学の問題として語られているが、大切なのはメディアの政治学なのである。こうした問題意識は風化と形骸化の危機にあるとはいえ、マスメディアがマスメディァである限り、それを対象化することがテーマである。ネット事業者には、こうした問題のありかさえ認識されていないであろう。ネット事業者の危うさがそこにある。そうした感覚のままで「テレビ局経営に参加(支配)したい」というときに生ずる空白、即ちメディアと権力との緊張感の不在が問題なのである。いうまでもなく、この問はブーメランのようにマスメディアに戻って来るのは承知している。




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