TBSメディア総合研究所

No83．[中国の近代・日本の近代…中国断章/貴州・紹興・上海]

2007.10.1

　貴陽（貴州省の省都）は、北京から空路で3時間、広西壮族自治区を挟んでベトナムが近い(近いといっても地図の上のことだ)。蒸し暑いだろうと思っていたけど、北京より涼しかった。都市部で標高約1000mだそうだ。経済発展は遅れていたが、最近は避暑地として売り出し中らしい。空港からの道路や市内にそういうスローガンの看板が目立つ。中国語はしゃべれないけど、街の看板や標識などは想像力を働かせると大分分かる（それにしても中国の簡略体はやりすぎのようにも思える）。貴州は、四川、湖南と並んで辛いモノ好きな土地で、茅台（マオタイ）酒の産地。料理も酒も美味しかった。

　貴陽のホテルは外資系の立派なホテルで、ここにも「観光立省」？の影響が見て取れた。そのホテルで関係者と雑談。「世界陸上で劉翔が優勝して大変だったでしょう」というと「みんなテレビを見ていてとても盛り上がった･･･でもネ個人的にはスポーツがあまり国を背負ってナショナリズムを煽るのは好きじゃない」という。個人の思いはどこでも夫々にある。それが当たり前といえば当たり前なのだ。

貴州電視台講演アジアアニメフェスタ開会式

アニメフェスタ講演アニメフェスタ講演会場

黄果樹食堂

さて、講演を二つこなして3日目に貴州最大の観光地の黄果樹にあるアジア最大（世界4位）の瀧を見に行った。「瀧を見ないで帰っては困る」といわれては見ないわけに行かない。世界で4番目というけど、ビクトリア、ナイアガラともう一つは何だっけと思って調べたら、南米のイグアスが世界最大。この黄果樹の昼食（お世辞にもキレイとはいえない観光客相手の地元料理）が今回の旅行中の食事で一番だった。特に、地鶏のスープと鶏と唐辛子の炒め物は抜群。広大な石灰岩の大地（カルスト地形）を2時間ほどドライブ、さらに上り下りを歩いて30分ほどで瀧に到着する。

アジア最大の瀧

確かに迫力のある水量で、特に瀧の裏側の鍾乳洞のような小径から見る景色は面白かった。今は水量の多い季節だが、それが少ない時に賓客が訪れると、上流のダムに水を貯めて到着時間に合わせて放流するそうだ。「それが政治というものです」と案内してくれたテレビ関係者が笑って話してくれた。観光客も多い。少数民族(ミャオ族)が観光客相手の芸を見せていた。それが彼らの生活の糧なのだろう。初めての貴州は素朴でゆったりとしたところだった。
　貴州滞在中に、あるローカルテレビ局の幹部と会食をする機会があった。彼の父親は日本軍の軍役に徴用され能力を買われて責任者にされたという。「父は日本の国歌が歌えた」といわれ返事に窮した。そういうこともあってなのだろう、文革期に郷里とはまったく違う地方に追放、ご本人も6年間下放で労働に従事。その後北京大学で学んだそうだ。50 代半ばというから、僕より10歳ほど若いが、顔のしわや手の節はまるで労働者か農民を思わせる。実に屈託のない笑顔で「乾杯」と言いながら淡々とそういう話をされると、こちらはすごく感慨をおぼえるものの「・・・そうでしたか」というよりない。こういう人生のドラマを生きた人は多いのだろう。その反面、若いスタッフが「この貴陽の近くの遵義という場所で共産党の歴史で重要な遵義会議が開かれた」というので「それは長征の途上で毛沢東が主導権を確立した会議だ」というと「よく知ってますネ」という。「若いときに実践論や矛盾論を読んだ」「僕は共産党員だけどまだ読んでいない」などという会話も「乾杯」の合間に交わした。中国の酒は、相手と（同席している人たちとそれぞれに）「乾杯」と言いながら飲むのであって、勝手に一人で飲むことはない。だから、大勢の席だと大変だ。

紹興八字橋(800年前に建設)

八字橋からの風景

　貴陽から杭州まで国内線、そこから紹興まで車で移動。白酒(茅台酒）の土地から黄酒(紹興酒）の土地へ。紹興は静かな穏やかな街で水路が多い。
　古代夏王朝の地であり、春秋時代は越王勾践（コウセン）が有名。会稽の恥、臥薪嘗胆!「“天勾践ヲ空シウスルコト莫カレ　時ニ范蠡（ハンレイ）無キニシモ非ズ“の勾践だよね」と思わずいったら、ガイドは「ハイ」という。ヘンな会話だ。戦前教育では忠君愛国の鑑、南朝の忠臣児島高徳と後醍醐天皇の逸話を、いかに日本の勉強をしただろうとはいえ、ガイドが知っていたとは思えない。句銭、范蠡という名前に反応したのだろうか。だけど、戦後教育世代の僕は何処でこんな文句を覚えたのだろう。
　紹興は仏教も盛んだった土地だそうだ。近くには天台宗の本山があり、最澄が修行したという。南宋の首都だったこともある。古今随一の書家王義士もここの人。曲水の宴で酩酊して書いた書を、翌日酔いが醒めてから書き直しても、どうしても昨夜の出来に及ばなかったという…凡人にもそういうことはある。夕食は魯迅の「孔乙己(コンイーチー)」のモデルとなった店（今も庶民の飲み屋）の隣の店。隣の臭豆腐の臭いは強烈だった。

孔乙己像(左側)のある食堂周恩来銅像

秋瑾故居

秋瑾像

　翌日の午前中に周恩来（の祖父）、魯迅、秋瑾の故居を訪ねる。それぞれみな立派な家だ。大邸宅ではないが、進士（科挙合格）の家はこの程度の生活が保障されたのだろう。近代化の始まりは、知識層の危機感からというのは何処でも同じなのだ。
　周恩来の祖父の旧居の向かい側に周恩来の銅像があった。中国では、いまでも毛沢東の銅像はアチコチにあるが周恩来のものはこことあと一箇所(生誕地の淮安か？)くらいだという。周恩来はここで生活したのではなく、のちにこの地で革命工作をしたときにここに泊まり、三日三晩不眠不休で仕事をしたということだった。

秋瑾記念碑

　秋瑾は清朝末の女性革命家。結婚、出産の後に日本に留学。革命組織「華興会」に加盟。帰国後、直接行動で清朝打倒をはかり、徐錫麟と武装蜂起を試みて失敗。逮捕され斬首。最後に「秋風秋雨愁殺人」と書き残した。早過ぎた革命だったのだろうが、しかしではもう少し歴史に遅く登場していたら、国民党や共産党のような組織的運動に適応できただろうか、それは分からない。その意味で、（今だからいえるのだが）彼女は政治的というより文学的存在なのだと思う、ロープシン/サヴィンコフの作品に登場する帝政ロシアのテロリストたちがそうであるように。人は、その時代にしか生きられないのだ。彼女の伝記を日本語訳したものを売っていたので買ってみた。絵と写真入の物語風読み物だった。家に戻って武田泰淳の「秋風秋雨人を愁殺す-秋瑾女史伝-」を再読した。文革中に紹興を訪れた武田泰淳が見た光景の写真が載っていて、例えば秋瑾が処刑された場所にある記念碑の周囲の様子は今では大分変っている。当時は、記念碑の直ぐ裏が水路だったそうだが、今はメインストリートである。紹興も大分現代化しているのだ。

魯迅記念館近く

魯迅が通った塾横の水路魯迅故居裏庭への小径

紹興水路の風景

　魯迅の旧家は北京時代のものも訪れたし、上海では最後の隠れ家のようなアパートも見た。この紹興で少年時代を過ごした魯迅が、家産が散じる中で日本に留学し、医学から文学に転じたことは良く知られている。
　留学時代に秋瑾と魯迅は同じ留学生として接点があったとしても不思議ではないが、果たしてどうか。そのあたりのことは魯迅の弟周作人の文章を踏まえつつ武田泰淳も書いている。魯迅も秋瑾のことを「薬」という短編で書いている(魯迅の高度な、ということは屈折した小説作法には、中国の近代化の苦渋が滲み出ている)。
　水路を、船頭さんが足で漕ぐ小舟で散策した。水路で洗濯したり、木陰でトランプをしたり、という光景を舟から眺めた。
　日常の穏やかな時間が人々を包んでいた。少し暑かったけれど、風か気持ちよかった。こんな風土から近代を迎える時代を激しく生きた多くの人たちが生まれたのだ。舟から上がると、老人たちが団欒していて、近づくと座れという。そこでも二人ほど片言の日本語を知っていた。日本軍から教わったという。老人たちは土地の言葉で喋るので、通訳は二重訳だった。

紹興の水路紹興の老人たち

　上海は5年ぶりだ。上海の発展は、浦東地区に限らず高層ビルの数が増えたことから分かるように、また一段と加速しているようだった。ただ、そうした光景よりも、旧市内の倉庫街を、その雰囲気を残しつつ改築した一帯(新天地というそうだ)の新しい風景が目新しかった。モダンなテラスレストランや上海ブランドの服飾装身具の店が並び、僕が行ったのは夜だったが、ヤングビジネスマンや外国人観光客が食事をし、あるいは散策をしていた。特に、エッ！と思ったのは、とある店（ここの店は上海ブランドとして売り出し中だそうだ）で、人民解放軍の徽章の「星」をそのままキャップや財布などの小物にデザインして売っていることだった。「中国の紅い星」もこうなってしまったか、と感心した。つまり、上海はモダンからポストモダンに入ったのだろう。そうなると、国際的な情報発信力からいえば、原宿やアキバより巨大な上海は、あっという間に日本よりも大きな文化的地位を占めるのではないだろうか。クール・ジャパンといわれているが、クール・シャンハイに注目せよ、という感じだった。ホテルに帰る途中、ライトアップされたバンドを通ったが、バンドの夜はあまり明るくない方が似合っているような気がした。

　翌朝、帰国の日の朝から体調がおかしくなって、それから帰国二日後の朝まで36時間バナナ一本で過ごすことになったのは想定外だったけど、とても刺戟的な一週間だった。

貴州空港ラウンジ

　中国と付き合うということは、こういうことども、こういう人たちと向き合うということなのだ。若し、歴史認識というものがあるとすれば、これらの総体をどう認識するかということであって、アノ戦争の正当性を言うことではない。この150年の日本と中国の近代の入り口の相異と、そしてその相異が生み出した現在を見つめなおすことが大事なのであって、そこから対話を始めるべきだ(勿論、そのためにも日中戦争の政治的総括は必要だ)。清朝末から中国革命に至る時間(特に思想史)に対比させて、その間の日本の思想的状況を再検討されるべきだろう。中国社会科学院の孫歌氏の「竹内好という問い」という一冊は、そのための貴重な手がかりのように思える。併せて、いま読んでいるのだが、「近代による超克」(ハリー・ハルトゥーニアン/岩波書店)のように、外国人研究者による戦間期日本の思想史研究も新しい視点を示している。

黄果樹

　「秋風秋雨人を愁殺す」を再読したこともあって、武田泰淳の「司馬遷・史記の世界」も読んでみた。「史記」とはこういう本だったのかということを教えられたが、それよりも昭和17年という時代に、なぜ武田泰淳がこの論稿を書いたのかということを考えさせられた。作家は時代というものとこのようにして向かい合うのだ。それは、もちろん同じ時代に竹内好が魯迅と、そして堀田善衛が藤原定家の「明月記」を読み解くという行為によって時代に向き合ったことに通じるのだろう。
　敗戦とともに、近代日本の思想課題をすっかり流し去ってしまったツケが、この国の思想空白=穴として残されてしまっている。それは戦間期の議論、例えば「近代の超克」論を再評価するということではなく、何故その時代に人はそのように考えたのか、近代と向き合うとはどういうことかを問い直す意味だ。そう考えると、自分の国と付き合うのも容易ではない…さてそうであるとして、テレビはそれをどうするか。

　帰国の日の夜、メディア総研の前の社長で、長年にわたって中国問題、朝鮮半島問題に情熱を燃やしつづけた小笠原紀利君が亡くなったという知らせが届いた。中国の朱鎔基前総理のタウンミーティングが実現したのは、彼の力が大きい。また一人、逝くべきではない友が去っていった。

紹興の裏路地

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