
No90.
「総合推進部会長」
|
2008.1.15 |
大学時代の友人からの年賀状に「遊ぶのにも体力が必要」と書いてあった。そのとおりだと思う。という訳で、「全国地上デジタル放送推進協議会」の総合推進部会長を、昨年末に退任することにした。前身の「地上デジタル放送に関する共同検討委員会」を含めると、7年半になる。
共同検討委も全国協も、総務省(郵政省)、NHK、民放の三者が対等の立場で協議するという、他に余り例のない仕組みである。行政関係の検討機関に詳しくない方のために補足すれば、審議会や研究会では行政は事務局として関係するのが通常の形である。勿論事務局とはいえ、議題設定、資料集約、検討の方向付けなどは事務局が行うのだから、実質的な主導権は行政の手にある。その意味で、事務局も兼ねるとはいえ行政自身が構成員というのは珍しいのである。
外部から見れば、「結局のところ、事業者と行政の内輪の議論」のように見えるかもしれないが、実態は相当に厳しい向き合いがあった。三者対等とはいえ、制度運用と予算は国の専権事項である。一方、事業者は経営責任と対視聴者責任を原点に議論を組み立てる。その行き着く先が「地デジ国策論」を巡る議論だ。事業者は「地上放送のデジタル化は国策なのだから、事業者努力を超える部分は国が責任を持って(例えば、経費負担)実施すべき」といい、国は「国の政策とはいえ、国税投下には然るべき理由が必要だ、何よりも民の努力が全ての前提」という。こういう議論を、事業者でありながら部会長として取りまとめるというのは容易ではない。確かに疲れる。しかし、それと同時に放送行政と放送事業者の双方のレベルが良く分かってとても勉強?になった(ある意味では、おもしろかった)。
凡そこの2年は、デジタル普及よりもアナログ終了が焦点だった。2011年のアナログ終了は制度化されてはいるものの、時間が経つにつれ「終れるだろうか」という議論が水面下で交わされるようになった。部会長として、「『終われるだろうか』と考えたら、終わるはずがない。先ず『終わる』ということを確認しましょう。」という考え方を示すことにした。そこから、衛星利用のセイフティーネットという(尋常でない)方法が検討され、情報通信審議会でも基本的に了解されている。端的に言えば、これで国も事業者も”のっぴきならない”ところに追い込まれた(自ら追い込んだ?)わけである。確かに物事は、始めるより終わる方が難しい。
それとあわせて、デジタルへの円滑な移行とか、アナログの混乱なき終了というが、それはそれで結構なのだが、「混乱はあると覚悟すべきだ」とも言った。起こり得るであろう”混乱”を想定し、対応を講じることが大事なのだ。これは総務省を超える作業である。昨年秋に、漸く「関係省庁連絡会議」が設置され、そこでのプレゼンテーションでもそのことを言った。 こうしたことが、少なくとも全国協を構成する三者の共通認識になったことが、部会長の仕事としての区切り目だと考えた。デジタル混信やリパッキングなど送信側の問題もあるし、何よりも受信機普及など難問はまだまだある。さらに、新たな課題も出てくるだろう。だが、それに対処するのは2011年に向かって継続的に機能する体制であるべきだ。 何しろ、「遊ぶのに必要な体力(と時間)」を残しておかなければならないのだから。
40年近く続けてきたスキーだが、60歳を過ぎてから間違いなく上手くなった。歳をとっても上達するものがあるということは良いことだ。年末に一滑りして来た。今シーズンは、板、靴、ウェアー、など一新した。楽しみである。
僕のホームゲレンデ・戸隠スキー場近くの「ヒマラヤの詩」(ネパール民芸品とカレーとケーキの店) 5年ほど前の写真だが、今もこのまま。遅い午後に、穏やかな日差しや、時には風に舞う小雪を眺めてワインを楽しむ。
|