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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No92.
「もう一度、村木良彦さんのこと」
-<エレクトロニクス・コピー・メディア>と<私>-
2008.2.15

 一人の人の死が、これほど気持ちの底の底から、ざわざわとしたものがゆらめきたって来るのは何故だろう。

 TBS「調査情報」に村木さんのことを書くために、本棚から村木さんの著書である「ぼくのテレビジョン-あるいはテレビジョン自身のための広告-」(1971.田畑書店)を取り出して驚いた。本に挟んであった新聞の切抜きの中から、ぼく自身が読書紙に書いた書評が出てきたのだ。すっかり忘れていた。書評として読めば、それなりに書かれていて少しホッとしたものの、黄ばんだ切抜きを眺めながら、ぼく自身がこの40年に失ったものは何だろうかと思いつつ、暫く呆然としていた。

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 「ぼくのテレビジョン」には、テレビジョンの歴史、状況、構造、職業としてのテレビジョンの意味と<放送労働者> の意識、テレビジョンの未来への洞察などについて、<テレビの原点>に迫ろうとする多くの指摘がある。それらのいくつかについては、「調査情報」(3月1日発行)に書いたので参照していただきたい。

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 それよりも、とりわけ愕然とするほど刺激的だったのは、切抜きの中から出てきた村木さんの書いた記事(これも書評紙だと思われる) で、「追跡・テレビ20年を考える-テレビは未知のメディアである-」だった(記録や保存が苦手のぼくは、それらの切抜きの日付や掲載誌のメモをしていない。目下、「調査情報」編集者の金子登起世さんに追跡調査を御願いしている)。では、何がそれほど刺激的だったのか。

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 この記事が書かれたのは1973年、テレビ放送開始20年という時点であり、テレビを5つの時代に分けて捉え返している(それぞれの区切りの意味についてはココをクリック)。第5の区切りであるその年、即ち1973年について、「浅間山荘」の中継に見られるような「現実をフィクションとし、フィクションを現実とするエレクトロニクス・コピー・メディア」という、権力と情報の関係における新たな課題が投げかけられた時代、としている。この「エレクトロニクス・コピー・メディア」という認識には強いインパクトがある。その後、私たちはテレビを通して、ベルリンの壁解体・天安門件・ソ連邦の崩壊・湾岸戦争・9.11、など進行中の世界史的事件に接してきた。こうしたメディアの機能について、「けれども現実はほんとうにフィクションを乗り越えたのだろうか。そう見えるのは現実がフィクションのエネルギーを吸収して、現実自体がフィクションとなったからだ」「メディアは出来事の一部であって、双方向に作用しているのだ」とボードリヤールが語ったのは2001年(註1)、こうした考察やベンヤミンを再読しつつ、ぼくがあらためて「テレビジョンに何が可能か」を考え、「テレビジョンは同時複製性のメディア」だということに思いに至ったのが2002年である(註2)。そう考えると、村木さんが35年前にテレビジョンの機能の変化を察知した先見性に脱帽する。当然のことながら、この記事を当時ぼくは読んでいたはずなのだか、「エレクトロニクス・コピー・メディア」という概念を理解できなかったのだろう。もちろんこうした指摘は「預言」ではない。<個とテレビジョンの関係>を見つめつづけるその視線が届いた先に、こうした認識が生まれたのだと考えてよい。

 とはいえ、愕然としたままではいられない。
 いま、デジタルメディアによるヴァーチャル空間は拡大の一途をたどり、ネットワークはますます拡張している。膨大な情報消費と引き換えに、情報活動は捕捉と認証により「環境管理」されている。<私が何をしているか>そして<私は誰であるか>が常に求められている。<誰でもない私>という自由は喪失されつつある(註3)。一方、テレビジョンは、こうした情報世界の変化の中で、否応なく政治との距離を縮めざるを得ない。個の情報発信、個の表現行為が日常化する中で、政治が<意識空間の維持>のためにマスメディアを求めるのである。それ故に、<エレクトロニクス・コピー・メディア=同時複製性>というテレビジョンの機能が、現在どのような意味を持つのか、そしてテレビジョンに関わる<個>あるいは<組織>がその意味を問い直すことが重要なのだ。しかし、同時に<個=私>を原点としてテレビジョンを考えるという、村木さんの原思想の<個>は、情報化社会の中でそのあり方そのものが揺らいでいるのである。<個=私=私でなければならない”わたし”>と<テレビジョン=エレクトロニクス・コピー・メディア>と<ネットワーク社会=”認証される私”>は錯綜した、正に<不可視>の状況を構成している。これをテレビジョンの側からどう読み解き、どう関わるかということが、「村木テレビ論」の現在的テーマなのだと思う。もちろん、当然のことながら村木さんは1973年のテレビ論にとどまっていたわけではない。1984年には中間総括的に「創造は組織する-ニューメディアへの挑戦-」を出して、新たな選択への意思表示としている。いうまでもなく、村木さんにとって「テレビ論」はテレビ的行為の一つなのであって、<論>も含めてラジカルにテレビを生き抜いたことは前回書いた。

しかし、村木さんの提起し続けた「テレビ論」を、現在のメディア状況の中で再考し、そこから新たなテレビ論を構築することは、テレビジョンというメディアに関わっていく<行為>として不可欠なのだと思う。それは、いましばしばテレビが自らの根拠としようとしている「放送の公共性」という<制度化>された規制にもたれかかるのではなく、<テレビジョンの現在>を考え抜くことで、テレビジョンの存在理由を自ら再構築することなのだ。いまが、最後のチャンスかもしれない。

 そう思いつつ、ぼくの中である惧れが拭えない。それは、「テレビジョンに何が可能か、それでも、こう問いつづけなければならない。…問いつづけることをやめたときにメディア論は解体し、そして、そのメディアの役割は終焉する」と僕は書いたのだが(註4)、いま問われるべきは<テレビジョンの不可能性>なのではないのか、ということなのである。

註1.「テロリズムの精神(訳:塚原史)」
(「環vol8.・緊急特集『9.11事件』以後、いま世界は」藤原書店 2002)
註2.. 「メディア論ノート2002」(「高度情報化社会のガバナンス」NTT出版 2003)
註3.. 「情報環境論集 東浩紀コレクションS」(講談社BOX) 他
註4. 註2と同じ


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