TBS-MRI TBSメディア総合研究所
home
メディア・ノート
    Maekawa Memo
No100.
[理念と現実/「幕末不戦派日記」]
2008.6.15

 メディアノート<Maekawa Memo>もNo.100である。「祝100!」と自分で祝っておこう。

 このところ、メディアと政治思想との関係を考えるために、再読を含めて何冊かの本を続けて読んできた。そのことは、このメディアノートにも折に触れ書いている。
 少し気分を変えたくなったので、「幕末不戦派軍記」(野口武彦・講談社)を読んだ。なんだか山田風太郎の「戦中派不戦日記」を思い出させるタイトルだが、野口さんの「幕末気分」「幕末伝説」に続くシリーズで、太平楽に過ごしてきた武具奉行同心が第二次長州戦争に動員され、大阪で滞在中の記録した日記をもとに構成されている。その筆者を含め日記に登場する4人の幕臣が、経験したかもしれない長州戦争最前線での敗走、鳥羽伏見での幕府軍壊滅、上野の彰義隊壊走、日光戦役敗北、会津落城、函館五稜郭陥落まで付き合ってしまったとしたら、というフィクションである。この4人は全く戦などに参加したくないのだが、彼らが時代の変わり目に否応なく巻き込まれていくところが、そしてその目線で幕府解体の状況を捉えているのが面白い。江戸の文学・思想の研究者である野口さんは、歴史学者とは違って想像力豊かに時代を捉えようとしている。今回は学者から作家になってしまった。「背景画面にニュース映画が流れる舞台で上演されるドタバタ活劇と思っていただきたい」とあとがきに書かれているが、その手法はなかなか鮮やかだ。「声高に反戦思想を叫ぶのはどうも性に合わない」というシャイなところが良い。かつて60年安保闘争の全学連反主流派のリーダーで、女子学生たちが「野口サンってカッコいい」と憧れていた風景を思い出した。

 さて、これを読み終わって思ったいくつかのことを記しておこう。

(1) 歴史の個々の局面、特に修羅場(例えば、長州・鳥羽伏見・上野・日光・会津・函館)では「理念」や「思想」ではなく、肉体的反応が状況を支配する。そこに変革期における軍事や暴力の意味がある?
(2) そこでは、「展望」や「意図」とは別の行為の連続が時代の転換を用意する。
(3) しかし、総体としての方向(例えば、幕藩体制の終焉による近代化)は進行する。ただし、その場合それが「明治維新」によるものかどうか、つまり幕府主導ないしいは連合による近代化もありえた、という程度の幅は許容されるであろう。
(4) では、「理念」や「思想」とは何か。「だが、理論といえども、それが大衆を捉えると物理的力になるのだ」(マルクス「ヘーゲル法哲学批判 序説」)というが、それもまた現実の政治力学の一つであろう。
(5) フランス革命やアメリカ独立戦争は、確かに理念を掲げた闘いであった。しかし、同時にナチスの反ユダヤ主義や、スターリンの粛清の思想や、中国文化大革命の「走資派」論など、それぞれに一定の条件があったとはいえ、その理念や理論も「大衆を捉えて」いたのである。それは権力の問題であり、政治の問題である。
(6) 理念、理論、思想は、どのようにして大衆を捉えるのか。これは、メディア論の原点である。
(7) しばしば、近代国家は「想像の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)であるということをメディア論の基本認識の一つとしてきたが、それを権力の構成論としてみれば、メディアは国家と共犯関係にあるということだ。
(8) 「共犯者であることを承知の上でメディアの自立を如何に形成するか」、それがメディアの現代的課題である。
(9) その鍵は、国家と公共性の関係を解き明かすことにある。
(10) テレビであれインターネットであれ、この問を如何に立てるかがを問われている。
(11) また、「理念」「理論」「思想」などは、「大衆の心を捉えよう」という意思乃至はそのような誘惑を拒むべきではないか、と一度は疑った方が良い。修羅の中でそれらを解体させないために、そして修羅においてそれらが「力」たりうるためには、そのくらいの決意も必要ではないか。
(12) 「理念」「理論」「思想」など観念というものが持つ力と意味、現実との関係には様々な作為的あるいは不作為的行為が織り込まれる。メディア論は、一方では「理論」であるが、他方ではこうした現実としたたかに向きあわなければならない。
(13) しかし、その場合でも原点としての「論」に賭けるところに、「論」の存在理由がある。
(14) その上で、最終的に大衆の心をつかむのは理論の直接的行為ではなく、利害、情念、時によっては恐怖、そして逆説的には無関心によって媒介されることを承知しておくことである。

 

 一冊の本を読むこと様々な思いが脈絡もなく浮かんで来る。それらを組み立ててみると、書かれていることとは違う別の世界に踏み込むことになる。それが、本を読むことの面白さである。「幕末不戦派軍記」は、アタリだった。

 ところで、6月2日の「電波の日」(例年は6月1日だが、今年日曜だったので式典は2日)に総務大臣表彰を受けた。地デジ推進に貢献したというのが理由だった。二つの思いがある。「官」から賞を受けることをどう思うかということが一つ。もう一つは、地デジ以前の仕事はなんだったのかということ、である。それを書くことは、自分の仕事の意味づけを書くことであり、腰を据えてとりかからなければならない。だから、別の機会にしよう。賞の重み付けで言えば、情報通信関係の顕彰として高いレベルのものであり、これまでに仕事をしてきた多くの方々の支えによるものだと思っている。率直に感謝の気持ちをお礼として伝えたいと思う。有難うございました。

 



TBS Media Research Institute Inc.