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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No104.
[情報をデザインする]
2008.8.15

  「総合的法体系」についての原稿を書き、「放送の将来像と法制度研究会」(民放連研究所)の議論を進行させながら、フト思いついたフレーズがある。それは、「放送とは、周波数というキャンバスに情報という絵の具で絵を描くことである」というものだ。

 電気通信は全てそうだろうが、放送も伝送より記録が先行して生成した。そこが、写真や映画とは異なる。それは、言語と文字の相違のようなものかもしれない。印刷や写真のように、複製技術により多量に頒布されることで、社会の構造に大きな変化をもたらしたメディアと、放送のように同時性・同報性を出自のときの条件とし、記録や蓄積が後から登場したメディアでは、何が違うのか、「融合」状況において、この二つのメディアの系譜の相互乗り入れが進行しているが、この違いは今でも意味があるのか、ということを考えている。前回書いたように、「放送の公共性」が公理ではなくて定理だとすれば、この「違い」は放送の存在証明のためのメディア論的根拠になるのではないかと考えてみた。
 電気通信の歴史を検証する必要があるが、まず「周波数」が発見され、電気信号の伝送が可能になった。あるいは、逆かもしれない。電気信号の送受信が周波数の存在を証明した。いずれにせよ、周波数を利用した無線通信が登場する。これを何に使うのか、人は当然それを考える。すぐに思いつくのは、遠隔地の商取引のための情報であり、もう一つは軍事利用だろう。明治維新後僅か10年の西南戦争では、既に電信が利用されていた。
 しかし、ある周波数帯域で強力な送信装置があれば、広範囲の送信が可能であり、受信コストは小さくてすむということが、理論的かあるいは経験的かは知らないが、判明する。そうなれば、より多くの人が知りたい(より多くの人に知らせたい)情報伝送の仕組が社会システムとして成立する。そこで、ニュースやエンタテイメントとしての音楽の伝送を業として成立し、放送局が誕生する。その時代には、電話やレコードそして映画など様々な情報の記録や伝送の発明・発見が同時進行していただろう。それらも、それぞれの業として成長してきたはずだ(「メディアの生成-アメリカ・ラジオの動態史」 水越伸・同文社を再読しよう)。
 こうして、放送は「周波数を利用して、情報をより多くの人に届けようとして、様々にデザインする」ようになる。それが面白くないはずがない。コピーしなくても瞬時に沢山の人々(大衆)に情報が伝わるのだから。この、いわば放送のDNAは伝送路や受信端末の多様化の中で、放送特性として重要なポイントになる。

 しかし今、一方では、ネット上で正に多種多様な情報が交換され更新されている。ネットでも情報は様々にデザインされているということだ。そうだとすると、そこに「違い」はあるのかないのか。違いがあるとすれば、一つはデザインの相異である。テレビCMとネットCMのように、デザインはメディアで異なる。この差は媒体特性の差と社会的認知の条件の差であろう。周波数上の情報として、同時性・同報性という特性を原初とするメディアのデザインが、放送情報の原点である。
 そしてもう一つ、放送の情報デザインは組織で行うものである。マスメディアでは企画・取材・制作・編集そして連続的な番組の組立て(=編成)は、組織の行為である。ネットへの情報提供が組織的情報集約として行われる可能性はあるが、そのためには二つの条件のクリアーが必要だ。(1)民主主義原理との関係性についての自己認識、(2)コストとの相関性。この2点で、いまだ放送は独自の情報デザイン力を維持している。
 「あらゆる情報端末に、放送情報を」というのが、放送事業者の基本スタンスだが、例えば放送情報をネットに送り出すことは、二次的利用か、あるいはネット用に再デザインするか、の問題だ。最初のキャンバスは飽くまでも周波数なのである。キャンバスと絵は分離できない。それは制度の問題ではない。そのことの意味をもう少し掘り下げてみたいと思う。それは、「テレビジョンとは何か」「テレビに何が可能か」という問に回帰することでもあるだろう。

 芥川賞受賞作、楊逸(ヤン・イー)の「時の滲む朝」を読んだ。民主化運動に関わった青年たちのその後を描いた作品で、書評や作家本人の対談などが新聞や雑誌に出ているので、作品そのものについては広く知られているだろう。切れ味の良い作品だ。母国語でない言語で表現することの意味は大きい。ただ、同じ中国人作家の日本語作品としては、沙柚(シャ・ユー)の「父の帽子」(幻戯書房 2003年)の方が透明度が高く、そちらの方が僕は好きだ。世代としては、一世代先行する作家で、文革時代を非行少女として生きた記録である。「右派」という帽子を被せられた父と文革に奔走する母の間で、紅衛兵運動に背を向けて、不登校児、不良になった少女の切ない日々がリリカルに描写されている。あの時代をそのように生きた、つまりまっとうで切実な幼い人生を知って感動した。

 



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