
No111.
[論理性と表現行為/テレビジョンの現在を考えるために]
-「放送人の会」に入ったことと「テレビ・シーラカンス」論- |
2008.12.1 |
「放送人の会」に入会した。今まで、是非入りたいという気持ちもなかったし、誘いもなかった。なんだか、「200投手・2000本安打」の選手たちが入る「名球界」みたいな感じもして、敬して遠ざけてきた気味もある。それが、入ってみようかなと思うようになったのは、この1年で民放連や総務省の委員会などの仕事を随分減らしたので、少し余裕が出たことと、そういう官やギョーカイとは違う関係をつくっておいても良いだろうという気になったこともある。それと、やはり村木さんが亡くなったことや、「お前はただの現在に過ぎない」の文庫版再刊によって、自分がこれまで関わってきたテレビというものを見直そうとした時に、その幅を広げておきたいという気持ちが強くなったことが大きい。
入会した途端に、大山勝美さんから連絡があった。「11月19日に、Inter BEE (国際放送機器展)で『放送人の会』がパネルディスカッションをやるけど、自分の都合がつかなくなったので変わりに出て欲しい」という。パネルまで、あと10日ほどのことだ。エース兼4番の代打で新人が打席に立つような話だ。タイトルは「ネット時代、放送はシーラカンスになるのか」となっていて、これまたすごいタイトルだ。そこで、大山さんは『テレビ原人の逆襲』という題で話をする予定だったという。どうやらぼくにお鉢が回ってきたのは、社員向けの「社内講演録」を、極く限られた先輩に送ったのだが、その一人が大山さんで、「アレを話してくれればいいから」という。世の中何が起きるか分からない!翌日には、進行役の今野勉さんからも電話が来た。となれば、断るわけにはいかないではないか。
当日は、「ぼくは『原人』ではなく『現人』です」と断って、以下のような話をした。
「放送はシーラカンスになるのか?」・・・No! では何になるのか?
1. |
テレビが形成する情報空間の核には、「時間のメディア=LIVE性」と「その危うさを予見した免許制度による周波数監理」の緊張関係がある。この緊張関係が失われたとき、テレビはただの電子メディアとなり、他のメディアとの差異はなくなる。その意味で、単純な[ハード・ソフト一致あるいは分離]という関係で考えてはいけない。 |
2. |
その上で、テレビは社会的に三つの機能を果たしている。
(1) 異議申し立て機能 (2) 共通の意識空間の形成 (3) 大衆の眼差しの集約
(1)はジャーナリズム(言論表現の自由=問題提起能力/市民)に、
(2)は社会システム維持装置(「想像の共同体=国民国家/国民)に、
(3)はエンタテイメント=広告産業(イメージの商品化/消費者)に、
それぞれ対応している。 |
3. |
この三点は、相互に引き寄せたり反発したりする力が働いている。つまり、この関係自体が、状況=政治と生活の間で流動的である。
以上を概念図として図示する(下図参照)。 |
4. |
三点構造というのは、最も安定的構造に見えるだろうが、三者の関係は常に動的である。 |
5. |
テレビ制作者は、この三点構造全体に向き合うのである。つまり、このベクトルの中で、「上手にポジショニングすればよい」というものではない。テレビ的行為=表現とは、不安定性=リスクを求めるところに成立する。 |
6. |
ところで、このようなメディアの力学、あるいはテレビ的表現の不安定性、といったような問題は、インターネット上の情報について、どのような関係として成立するのか、あるいはそのような問題設定は意味がないのか。 |
7. |
インターネットの急速な成長は、情報宇宙系の太陽の位置にあったテレビの優位性を揺るがしている。いわゆる、「融合論」である。 |
8. |
しかし、「融合」とは、一方が他方を吸収することではない。お互いが接近しつつ、夫々が変化し多層的な情報構造を形成することであろう。これを「入れ子構造」として図示する(下図参照)。 |

9. |
現在、テレビを巡る議論が様々な場で、様々なベクトルで行われている。その主な論点は以下のようなものである。
(1) |
One Wayのマスメディアの時代は終わった。ネットによる多様な情報環境の時代だ。 |
(2) |
情報(コンテンツ)は、メディアを選ばない。テレビ中心主義は限界だ。編成権は視聴者・ユーザーに移った。 |
(3) |
ハード・ソフト一体型の構造は情報市場の阻害要因である。 |
(4) |
地域免許制度は、情報技術革新の成果を視聴者・国民・ユーザーが享受することを妨げている。 |
(5) |
テレビ局は、プロダクション制作を「正当に」評価すべきである。 |
(6) |
マス広告からネット広告へ。マス媒体は不要だ。 |
(7) |
テレビ番組に見るものがない。包摂力も問題提起能力も衰退している。 |
(8) |
テレビ受信機は不要。テレビ番組は、ケータイかユーチューブで見ている。
テレビ番組の「素材化」。 |
(9) |
テレビは公共圏形成力を喪失した。ネット公共圏の時代である。テレビの形成する情報空間は均一的。ネットの空間は多様的。 |
(10) |
テレビの「言論表現の自由」の時代は終わった。インターネットは、「知る権利」を飛躍的に拡張した。 |
|
10. |
テレビはこのような論点に「まじめに」応えていくべきだ。今のところ、個別にはまじめに対応しているが、テレビ総体としては極めて不十分といえる。 |
11. |
その上で、以下の課題を論理的・経験的・感覚的に「形」にすることが必要である。
(1) |
あらゆるテレビ情報はジャーナリズムである |
(2) |
テレビ編成は、「流れ」である
=Live性はテレビのDNA=そのリスクを承知するのがプロ |
(3) |
情報の<収集・構成・送出・二次利用>のノウハウはテレビの経営資源である |
(4) |
広告の意味の再構築が必要=媒体力の測定 |
(5) |
コンテンツはメディアを選ぶ=<テレビ番組> |
(6) |
制作者の才能の集約が必要=裾野の拡大=編成・制作構造の改革 |
(7) |
あらゆる情報端末にテレビ情報を!=「インターネットは最良の友」 |
(8) |
公共性は制度で担保されない=行為として成立する
=問題提起能力=信用構造 |
|
12. |
これは、現場の課題であると同時に、経営課題である。 |
13. |
テレビは、以上のことに「懸命に」「まじめに」取り組まなければならない。
そういうことをしていると、凄く忙しくて、テレビにはとても「シーラカンスになっている<暇>はなんかない!」。
だから、テレビは、「進化=深化したテレビ」になるしかない。 |
他のパネラーからの指摘は概ね次のようなものだった。
■映像作家 明星大学教授 風間 正 氏 |
○ |
「テレビは双方向メディアではない」ことに利点を見出すべきだ。 |
○ |
テレビとネットは違うメディアである。 |
○ |
情報負荷社会では、テレビはリビングで家族と共有される存在にもどるべきだ。 |
■Webデザイナー 木谷友亮 氏 |
○ |
「ただ観る、だらっと観られる」のがテレビのいいとこ。ウェッブは断続的・頻繁に操作が必要。 |
○ |
テレビ・コンテンツはプロが制作し、ウェッブ・コンテンツの多くはアマが制作している。 |
○ |
テレビからウェッブへ、クリエーターの参加を期待。 |
(因みに、木谷さんのWeb広告「NECのMEDIAS」がデモされたが、とてもよく出来ていて感心した) |
■漫画家 京都精華大学教授 山田紫 氏 |
○ |
漫画を原作にしたドラマが多いが、漫画だから成立する表現をそのままテレビに取り込むのは危険だ。 |
○ |
タレント依存の安易な制作が過剰だ。 |
○ |
テレビ・コンテンツ制作者の頭の中がシーラカンス化している。 |
■ |
今野さんが司会をしたディスカッションは、会場の音響条件が悪く、他の人たちの声が聞きづらくて、自分への質問に対応するのに精一杯だった。最後に、「これからテレビはどうするべきか」という質問には、「単純なことだが、何よりも制作者が”テレビは面白い”と思うことだ」と答えた。 |
ぼくの発言は、このノートでたびたび触れてきたことの再整理の域を超えるものではなかった。ただ、図の1.は、なかなか上手く描けていると思っている。こういう図をパワーポイントで作っているとき、「パワポというのはオレのためにあるのではないか」と思うほどハマルことがある。しかし、この概念化のような感覚は何処から来るのだろう。もともと抽象好みという癖はあるし、文章をナンバリングして書くなどというのも、そういう傾向の顕れかもしれない。
というようなことを考えているうちに、フト気づいたことがある。少し話が飛躍するが、前回の「村木さんを偲ぶ会」の挨拶で、鶴見俊輔さんの「悼詞」についてチョッと触れた。鶴見さんの仕事でよく知られているのは、「思想の科学」とべ平連だろう。ぼくが、思想というものに向き合うようになった一つの大きなきっかけは、「現代における思想と行動-挫折の内面を通してみた個人・運動・歴史-」(中岡哲郎 1960年 三一書房)を読んだことだった。今それを開いてみれば、青、赤、黒の線が引いてあり、拙い書き込みがある。いま中岡さんは技術史の研究者で、「日本近代技術の形成-<伝統>と<近代>のダイナミクス-」(2006年 朝日選書)は、とても面白かった。その中岡さんが、学生運動の挫折を通して「思想=転向とは何か」ということを捉えなおす手がかりとして「思想の科学」の方法に惹かれながら、その生態学的分類に強い違和感を覚えると書いている。
ぼくは、そうした中岡さんに引きずられるように、「思想の科学研究会」編『共同研究 転向』(上・中・下)を読んだ。出来るだけ「思想」というものを客観的に捉えようとしていて、それがプラグマチズムというのかどうか、そのころは良く分からなかったが、ビックリした。当時の中岡さんは、まさに挫折の中で個人と歴史をつなぐ<思想>というものと格闘していた只中にあり、方法として「思想の科学」を評価しつつ、しかし自分が生態学の対象にされることは環境決定論のようで、思想の内面性が排除されることが耐えがたかったのだ。いま思えば、その両方からの迫り方が必要なのだということくらい、ぼくにも分かる。エクリチュールと作家性の関係といえなくもない。その後、吉本隆明の転向論が登場したりして、60年代前半はちょっとした転向論ブームだった。
ところで、何で「思想の科学」に話が跳んだかというと、思考の概念化(パワポ化?)という手法は、どうしても論理の形式化・図式化・分類化に流れ、主体的行為、その内発的意識へのかかわり方に欠けると思われるからである。それを改めて感じたのは、パネルディスカッションで欠席した大山さんの作品「若者 努の場合」(1962年芸術祭奨励賞)の映像が10分ほど上映されたのだが、その映像から、工場で働く若者たちの汗の臭いまでもが伝わってきたからだ。アナログのおそらく2インチテープで収録されたこのモノクロ番組は、デジタルHDで制作されるいまのドラマに比べれば、電気的情報量は圧倒的に少ないにも関わらず、観る者の感性への働きかけで優れたリアリティーを示していた。勿論、観るものとしてのぼくの年齢や経験などの要素があるのだから、いまの「若者たち」がどう感じるだろうかは、また異なるものがあるだろう。だが、その映像表現はまさに「テレビ原人の逆襲」だった。当日受け取った大山さんの予稿メモには、「テレビは永遠のシーラカンス」と書いてあった。
テレビの現在を考えるには、様々なアプローチがある。メディア論的・概念的認識と「原人的」発想とをどうクロスさせるか、それは一つのテーマであろう。そこに思いが至ったことだけで、大山さんの代役を引き受けた意味がある。「放送人の会」が、何を目指しているのか、今まで何をしてきたのか、これからどうしたいのか、それをぼくはまだ知らない。しかし、テレビにおける論理と表現=メッセージとを突合せる一つの「場」として「放送人の会」が存在しうるならば、それはそれで大切なことなのだという気がする。
もう一つ発見したことがある。中岡さんの「現代における思想と行動」を読み返していて、その奥付を見てハッとした。発行者が田畑弘となっている。本の帯には「三一新書200点記念懸賞論文」と書かれている。田畑弘氏は、「お前はただの現在に過ぎない」の初版や、村木さんとぼくの共著「反戦+テレビジョン」、村木さんの「ぼくのテレビジョン」を出版した田畑書店の田畑さんだったのだ。ぼくの18歳から28歳までの10年間、ということは結局のところ、今に至るまでのぼくの人生に、田畑さんはとても大きな関わりがあったのだ。まことに不思議な縁である。Googleによれば、田畑さんは大正2年生まれ、三一書房の創業者。昭和62年に亡くなられている。ほんの数回しかお目にかかっていないが、そのときの印象は、穏やかな方で、未熟なぼく(たち)に対してとても寛容だったように思う。しかし、三一書房という独特の出版社を立ち上げたのだから、そこには厳しい政治的体験があったとしても不思議ではない。京都の三一書房から東京の田畑書店への転進には何があったのだろう。
田畑さんに、とても遅くなってしまったけれど、本当に感謝の気持ちを捧げたい。
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