
No116.
[近代日本史の終焉?]
-「ポスト戦後社会」を読む- |
2009.2.15 |
「ポスト戦後社会」(吉見俊哉・岩波新書/日本近現代史(9))を読んだ。1970年代からオバマ米大統領の登場まで、左翼運動、豊かさ、家族、地域開発、「失われた10年」、アジア、の五つの視点による章立てになっていて、簡潔に「ポスト戦後」(ぼくの言葉では「戦後・後」)の過程を描いている。それぞれの事象について要所に著者の評価が挟まれて、かなり共感しつつ読んだ。日本の現代史というものを考えたとき、自分の経験・年齢と合わせると、70年代前半までは同時代感覚があるのだが、それ以後の、特に70年代後半から80年代の変化について評価軸が定かでなく(ぼくが現場を離れたのもその時期だった)、困惑していたこともあり、そういう意味でも良いテキストだった。
「青春とは、年齢によってではなく、事件によって区切られる」といったのは誰だっただろうか。「青春」という言葉は、もはや死語かもしれないが、時代がどちらに向いているのかということに緊張感を持って向き合えることは、年齢ではなく思想的若さが必要なのだろう。そうした緊張感が必要なのだとあらためて思ったのは、89年のベルリンの壁解体と91年のソ連崩壊を、まさに同時代的に経験したことだった。それと、今の世界的経済不況もそうかもしれない。
「ポスト戦後社会」の終章で、吉見氏は<日本史の終焉?>という小見出しの一項がある。「円高・格差社会」「国内産業の空洞化」「アジアの経済成長」「都市の多国籍化」という、ポスト戦後社会の経済的・文化的変化が含意するものは、「そもそも本書のシリーズの主人公である『日本』という歴史的主体が、すでに分裂・崩壊しつつあるのではないか」とした上で、「『日本』が国民国家として統一的な歴史的主体である、少なくともそのような存在として機能していることは、立場の左右如何を問わず前提とされてきた」が「今やこの社会では、多くの人びとの間で『日本』や『日本人』の定義が合致しない。それらをどのように定義するかが、歴史的で政治的な問いとなってきているのである」という。
この部分を読んだときに、「日本沈没」(小松左京)の、やはり終章を思い出した。「終焉」と「沈没」という言葉の類似性だけではない。何千万人かの日本人が海外に脱出する中で、沈み行く日本列島の情景を切々と描き、日本人が流離いの人々になるであろうことを予感させる幕切れは、おそらく作家の敗戦時の体験に基づくものであろう。そこには、吉見氏も触れているように、近代の過程で「西欧を中心としたグローバルシステムの展開の中で、歴史的に想像され、構築され、膨大な文化的、法的、社会的制度を通じて自明化されてきた」日本について、沈没か崩壊か終焉かはともかく、「敗戦」あるいは「ポスト戦後」という状況において、日本の存在そのものに向き合っているところで通底している。ただし、ポスト「戦後」という過程としての現在は、「構築してきた近代」の切断という意味では、1945年を起点とする変化よりも大きな転換期を迎えているように思えるのだ。ぼくが「近代の超克」論に拘りたいのも、そうした問題意識による。
さて、そうであるとして、メディアは、特に時間のメディアであるテレビは、こうした「時代との緊張感」を喪失しているのではないか。いま、私たちがどのような歴史のステージにいるのか。事件事故を報道することは、それだけでは「時代を伝える」ことにはならない。その時、伝える主体として時代をどう認識し、時代とどう向き合うか、という意識が問われるのである。とはいえ、「いま、時代はこうだ」という認識パターンがあるはずもない。経験と思考と想像力、いまテレビに必要なのはそのことであろう。メディアに関わるということは、否応なくそのような立場に立たされるということなのである。報道からエンタテイメント、そしてスポーツも全てはジャーナリズムでありドキュメントであるはずだ。それにもかかわらず、テレビジョンの可能性を語りつつ、その不可能性が思わず見えてしまい、「テレビジョン危うし」と呟いている自分を発見する瞬間がある。「日本史の終焉?」と「テレビの崩壊?」はシンクロしているのであろうか。
ところで、「ポスト戦後社会」で、左翼の終わりは「あさま山荘」事件にあり、それは左翼が行き着いた「自己否定の思想の」の限界と破綻から生まれたものである、という解釈が示されている。こうした認識は、吉見氏だけではなく、かなり多くの識者が示している。たまたま、この本を読んでいる間に、写真集「東大全共闘(1968-1969)」(新潮社)を手にした。カメラマン渡辺眸氏が、30年前にたった一人安田講堂の中で撮影することが出来た、そのときの記録である(マスコミの記者やカメラマンが何故バリケードの中には入れなかったのかということの意味は、このノートで触れた「お前はただの現在に過ぎない」でも提起されている)。その写真集に寄稿されている山本義隆氏の文章を読んで、「自己否定」が真摯に問われた東大闘争の、その全共闘議長だった彼は、その問いから逃げずにいまでもそれを背負っているのであろう、ということが強く感じられた。つまり「自己否定」による破綻は党派的思考において起こるのであって、そうした党派性そのものを拒否しようとした者の生き方としては、連合赤軍のような負の連鎖に陥ることも拒みうるのではないのだろうか。
山本氏が「磁力と重力の発見」や「十六世紀文化革命」のようなすぐれた科学・技術史をどのような思いで書いたのかをぼくは知らない。しかし、東大闘争で失われた最大のものは、将来ノーベル物理学賞を受賞したであろう一人の若き学徒を失ったことである、という言葉を読んだことがある。事実はいざ知らず、「大学に戻らないか」という誘いがあっても不思議ではない。ぼくの知っていることは、山本氏がその道を選ばなかったということだけだ。それが、彼の自己否定のあり方であり、責任の取り方だとすれば、それについて何を言うことがあろうか。そこには、ポスト戦後社会を見極めるための、もう一つの視点があるように思われる。
ついでに、もう一冊。中国の現代小説の作家、莫言氏の「転生夢現」(吉田富夫訳・中央公論新社)を読んで驚いた。読みながら何度も唖然とし、読み終わって呆然とする本というのはそうあるものではない。中国革命で死刑になった地主が、生まれ変わって驢馬、山羊、牛、豚、犬、猿、などに転生し、元の自分の家で飼われ、大躍進、人民公社、文化大革命、そして改革開放という世の変化を見るという話だが、その凄さは、読んで頂くしかない。解説によれば、中国で最もノーベル賞に近い作家だそうだ。世界で十ヶ国語ほどに翻訳されているという。上下各400ページの長編だが、実に面白かった。
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