TBSメディア総合研究所

No127．
[<戦前>の思考とメディア]-09夏・メディアを考える-

2009.8.1

　8月15日が近いからというわけではないが，戦時期に関わるものを少しまとめて読んでいる。『戦時グラフ雑誌の宣伝戦-十五年戦争の「日本」のイメージ-』(井上裕子)、『写真･ポスターから学ぶ戦争の百年-二十世紀初頭から現在まで-』(鳥飼行博)、『玉砕』(小田実、ティナ・ペプラー、ドナルド･キーン)、『日米交換船』(鶴見俊輔、加藤典洋、黒川創)、『迷路』(野上弥生子)、この後、再読も含めて『レイテ戦記』(大岡昇平)、『銀座の米田屋洋服店』（柴田和子）、『日本占領』(E.H.ノーマン)、『暗黒日記』(清沢.洌)、『挫折の昭和史』(山口昌男)、『東京昭和十一年』(桑原甲子雄)、『満州昭和十五年』(同)などを読むつもりだ。『玉砕』、『日米交換船』、『銀座の米田屋洋服店』、『日本占領』は買ったままツンドク状態だったものだ。だから、これらの本の選択は系統的なものではなく、ランダムなものであり、だからかえって「時代」というものが多層的に構成されていることが分かるのではないかと思っている。
　なんでまたこうしたことをしようとしているかといえば、第一に「実際に戦争があろうとあるまいと、自分を<戦前>において考えること。そのとき、文字どおり戦前の思考が意味を持つ」という『<戦前>の思考』(柄谷行人)の認識が、リアリティーを持つ状況に入りつつあると思うからであり(もっとも、柄谷行人はそれを「予感とは別の思考実験だ」としているが)、第二に最初の二冊を読んでみて戦時期のメディアがどういう立ち位置にいたのかということを確かめたいからでもある。そしてそれは、国家という存在を客体化し切れないまま今に至った戦後過程のツケをどう受け止めるかという関心と、それは日本の近代化が宙吊り状態に置かれているのではないかという疑問につながる。その焦点として「近代の超克」論があるはずであり、それは日本の近代思想の位相として乗り越えられなければならないのではないか。これは学問的な関心ではなく、歴史の集積としての自分が生きた時代と自分との関係をハッキリさせたいという個人的なテーマではあるが、それとともにメディアは何をしてきたのか(何をしてこなかったのか)、そしてこ「いま」(あるいは、「これから」)メディアの立ち位置はどこにあるのかを確かめたいからでもある。

　『写真･ポスターから学ぶ戦争の百年』で著者の鳥飼行博氏は、「本来、写真やポスターは、歴史的事実の断片だったり捏造だったり、さまざまな解釈を許すものである。それをどう判断するかは、メディアリテラシーの問題である。」としたうえで、<戦争プロパガンダの特徴>として、5点を挙げている。簡略にまとめれば、(1)当局が秘密裏に行う「情報管理」、(2)送り手と受けてとの間の「情報の非対称性」、(3)受け手の共感と同調を得ながら進行する送り手の「情報の受容性」への配慮、(4)送り手との「情報共有の一体感」がもたらす幻覚による自発的協力、(5)小市民が生活を優先させるための自己防衛本能としての「情報の迎合性･無批判性」、である。
　この分析的整理は分かりやすいものであるが、次の3点について更なる考察が必要であるように思われる。(i)プロパガンダでなくても、あらゆるメッセージは、送り手と受けての間で必ずズレを生ずるものであり、それはすべてのコミュニケーションの前提であるというメディア論的認識との関係についてどう考えるか、(ii)過去においてもそうであったが、現在ではさらに政治的言語は分析的であるほどに明確ではない。それは、「当局」とは誰か=権力の所在や、何を意図しているか=権力自体の「意図」についての自覚の不透明性=政治性のレベルの低さ(権力の脆弱性ではない)、などに起因していると思われるが、こうした状況をどう認識するか、(iii)それにもかかわらず、プロパガンダ的情報効果による「劇場型」政治は容易に起こりうるのであって、緩やかで曖昧な方向性であっても、ある情報行動によって過剰な反応が新たな政治状況が生み出される。いわば、超意図的?な情報効果を読み取るメディアリテラシーが必要になるということであろうが、果たしてそうか。
　さてその上で、問題は次の点にあるといえるだろう。
　第一に、こうしたメディア行為はネット時代にどのように変化するだろうか、という問題である。つまり、個人の情報発信が広範に可能になった状態で、プロパガンダ的な情報操作は個人の情報発信の多様化により相殺されるのか、それとも匿名型の情報の氾濫によりそれは増幅されるのか、という問題である。第二に、組織としてのメディアは主体的な判断･選択をどのように担保するか、というメディアの存在根拠を問うことである。第三は、組織としてのメディアの内部にいる個人(メディアに職業として関わる人間)は、どのようなメデイァ的行為がありうるかという問題である。
　第一のネット時代のプロパガンダ情報が、情報社会でどのようなリアクションを起こすかは、一概にはいえないだろう。いえることは、[マスメディア×ネットワーク情報]という構造が、従来のメディア社会より遥かに複雑なものであるが故に、そこに引き起こされるリアクションは一層<乱反射>の度を増すであろうということである。その場合、マスメディアは、ネット空間という新たな環境において、情報の収集･編集･配信という社会的行為の重要性をどれだけ主体的に担えるかが問われる。一方、ネット情報は個々人の直接的情報行動による政治的な磁場=言論空間を形成しうる。この磁場は、国家という単位を越える。権力による政治的行為とマスメディアによる意識空間とネットによるコミュニケーションの三者がどのような関係を構成するのか、私たちはこれまでとは異なる政治的経験に踏み込みつつある。
　第二のマスメディアの主体性はいかに担保されるかといえば、<政治との距離>と<マスメディアの存在根拠>を自らの行為としてどう位置づけるかの問題である。「言論表現の自由」とは、一般的な自由ではなく、権力との関係の問題である。その「自由」を行使することの意味は、事実を伝えることにあるのではなく、<何か>を伝えることによって「状況を構成する主体であることを引き受ける」こところにある。それがジャーナリズムとしてのマスメディアの存在理由であろう。情報産業の構造的変化の中でさまざまな経営課題に追われるとしても、ここを外してメディア経営はありえない。それは、経営の哲学の問題である。
　第三に、メディア組織内部の個人は、常に個人の思考・判断･選択と組織のそれとの二重構造に逢着する。それはけっして不合理でもなければ、不幸でもない。組織で仕事をするとはそういうものであり、そのアンビバレンツが思考力を鍛える。そこに方法(スキル)が生まれる。スキルは思想の表現である。
　[<戦前>の思考]という思考実験を更に推し進めれば、例えば戦時下に武田泰淳が「司馬遷　史記の世界」を書くという<行為>や、「たとえ奴隷になったとしても、寓話くらい書けるだろうではないか。イソップは奴隷だった。」(『昭和18年の音楽』谷川雁)というコトバのように、表現における状況と個の関係性の問題につながる。ショスタコービッチは交響曲5番の楽譜の中にスターリン批判を忍びこませたという(NHK・BSプレミアム8「ロシア　心の闇」)。<時代・組織としてのメディア・個>の関係.を常に反芻すること、それしかない。<個>にとっては、それは「文学的である」こと、あるいは「文学である」ことによって可能なことでもあろう。戦時下という状況に向き合った作家たちの仕事を考えると、そのように思えてくる。メディアを職業とすることとは、そういうことだったのだ。そこに、時間のメディアであるテレビジョンにとって、記録性とは何かを問う意味があるはずだ。

　さて、ここまで書いたところで、前回触れた「平岡/大山論争」に思いが至った。「テレビは戦争責任体験がないから思想性に欠ける」という平岡正明に対して、大山さんは「テレビに思想はいらない」という。このすれ違いは、埋めようと思えばそれほど難しくないはずなのに、それが埋まらないままに論争は拡散･中断した。いまテレビは、その「すれ違い」が残した空白の中にいる。テレビとネットの関係も総合的法体系も、あるいはテレビ広告費の低減やテレビ制作力の枯渇も、全てはこの<空白>を認めることからしか何も始まらないのである。

　2009年夏のメディア状況は、気象現象と同様に不順である。

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