TBS-MRI TBSメディア総合研究所
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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No143.
[テレビジョン的・身体的]
-放送人の世界 今野勉・人と作品-
2010.4.1

 「放送人の会」の企画で「放送人の世界・人と作品」というシリーズがあり、第12回(3/20)は今野さんの作品が対象だった(放送番組センター・横浜)。次回、次々回も今野作品を連続して取り上げる。今野さんの著書「テレビの青春」の読者から当時の番組を見たいという要望がかなりあり、それで連続企画になったという経緯を冒頭で今野さんが説明した。今回は、「土曜と月曜の間」(1964)、「二人だけの銀座(七人の刑事)」(1967)、「伊丹十三の日の出撮影大作戦(遠くへ行きたい)」(1972)、「パリの万国博覧会(天皇の世紀・第二部)」(1973)の4本だった。
 「土曜と月曜の間」は私がTBS入社の年の作品で、イタリア賞受賞後の再放送の時だったのだろうか、社内のモニターでチラと見た記憶がある。これと「二人だけの銀座」はオールフィルムの作品だ。当日の今野さんの弁によれば、「フィルムの方が、カメラが自由(それに編集も)だからそれでいきたいと、上司の了解を取った」ということだ。確かに、当時のVTR機材はロケには全く不向きのレベルだった。そのお陰で、この2本は保存されることになったのだ。つまり、VTRはそれほど高価で、オン・エアーされると次の番組用に使用され、録画されたものは消去されるのが通常だった。これはTBSだけのことではない。
 「二人だけの銀座」がTBS時代の今野さんの最後の番組で、このあと今野さんは「TBS闘争」の渦中に身を置くことになり、その後退社してテレビマンユニオン結成にいたる。そのあたりのことは「お前はただの現在に過ぎない」(2008年再刊・朝日文庫)に詳しい。その「TBS闘争」の一つの焦点が「テレビとは何か」であり、「テレビジョンは時間である」という提起あるいは問いかけがテレビに関わる人たち、つまり私たちに与えた影響は大きかった (もっとも、何の影響も受けなかった人たちも沢山いたのだが)。
 そうだとすると、オールフィルムという方法は非テレビ的ということになるのだろうか。この話題は、丁度1年前の「放送人の世界-村木良彦・人と作品-」のゲストとして参加したときに、村木作品におけるアクション・フィルミングとコラージュについて今野さんと会話したことに重なる。村木さんはテレビ表現について、「モンタージュによる解体された時間ではなく、解体されない<時間>」「偶然を方法の中にくみこんだ意識の重層的反復を現在進行形で」と書いている(「テレビジョンの<歴史>と<地理>」・「ぼくのテレビジョン」所収)。村木さんの場合は、テレビジョンという「時間のメディア」と、番組に内包される<時間>という二重の時間意識がテレビ論の核になっている。
 今野さんのフィルムによる2作品を観て思うのは、今野さんにとってテーマ、というより<意図>をよりよく表現する方法がフィルムだ、という明快な選択だということである。では、テレビ的であるかどうかは問題ではないのかと言うと、それこそテレビ的だというしかない。映画の世界では、そういう方法の選択は成立しない。その選択こそ、第一にテレビ的であり、第二に撮影・編集・ダビングというプロセスを経て映像として定着したものは、テレビ番組以外の何ものでもない。
 1964年(東京オリンピックの年)に、テレビで沖縄に向き合うとすればこうなる、と今野さんは決めたのだ。「土曜と月曜の間」は芸術祭参加のテレビドラマとして放送されたが、そこにはドキュメンタリーの方法が取り込まれている。というより、ドキュメンタリーとしてみることも充分成立する。要するに、それが“テレビ”なのだ。地上波テレビは総合編成を求められているが、こういう作品を観るとそういうジャンル規制は全く無意味だと思ってしまう。そういう固定観念がテレビをだめにしてきた。それは、今野さん本人がいうように、「今野作品は社会派的だ」という批評にも通じる。
 ゲストの堀川とんこうさんが「(2年先輩の)今野さんたちは、自分がテレビに向き合うときに夫々がテレビ以前に拠りどころにしてきた芝居や映画といった『へその緒』を残していたけれど、今野さんにはそういう感じがしない」と発言していた。「へその緒」なんかなくても、表現の世界に入れる<場>がテレビだったのだ。だから、フィルムという方法とテレビ的であることは相反しない。
 今野さんのフィルム作品を観ながら、アントニオーニやゴダールの映像を観た記憶が一瞬よぎったが、それは今野さんが彼らの影響を受けたかどうかなどという問題ではなく、あの時代に出来合いの形式を超えようとすれば、当然とられる方法だったのだと思う。久しぶりにネオ・リアリズムなどという言葉を思い出した。ネオとはその頃新鮮な響きだったが、今ではネオ・コンなどというと、どうにも剣呑な感じがする。
 今野さんに「へその緒」があるかないかはいざ知らず、今野さんの作品にはすぐれた身体感覚がある。スポーツ経験があるからかもしれないが、それ以前のまさに「へその緒」的なものとして体を使うことの快感があるのろう。私自身にそういうところがあるのでそう思うのかもしれないが、<現場>とは身体で自己表現する場なのである。「伊丹十三の日の出撮影大作戦」も「パリ万国博」もそれを心地よく感じた。特に、「パリ万国博」は伊丹十三という稀有な存在と共鳴して、踊るようなリズム感がイイ。身体性は制作者の一つの必要な資質だと思う。

 第2回は残念ながら参加できないが、3回目はまた横浜まで出かけるつもりだ。また何か発見することがあるだろうと思うと楽しみだ。それにしても、「放送人の会」は結構いい仕事をしているのだが、どうすればパワーアップできるかが問題だ。それは、散会後に今野さんも交えてビールを飲みながらの話題でもあった。テレビそのもののパワーダウンの中で、「放送人の会」が遊びと運動を上手く組合わせて刺戟的になると良いのだろうが、上手い手が見つかるだろうか。




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