TBS-MRI TBSメディア総合研究所
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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No145.
[テレビの立ち位置]
-「ダダ漏れ」中継とタンジブル-
2010.5.1

 前回(No144.)の終わりに、「時代が自分を追い抜こうとしている、そうも思うが、どう追い抜かれるかは結構大事な問題なのだ」と書いた。全く自分のことを語ったのだが、今朝(4/29)の朝日新聞の論壇時評の二つの評論を読んで、これはテレビ自身のことでもあると思った。これも前回書いたことだが、「…印刷という固着技術を前提にした『知』と、流動的なネットワーク空間での『知識』とは、大きく異なる性質を持っている。そして、いまや後者が前者を呑み込もうとしている」(前田塁「紙の本が亡くなるとき?」・青土社)を引用しつつ「では、テレビジョンは呑まれる方なのかといえばYesというしかない。だが、活字よりはネットワークとの相関は高い。そうだとすると、テレビは呑む方と呑まれる方の間の蝙蝠みたいな存在か?」ということに、それは重なる。

 東浩紀氏は、「論壇の『復活』ネットが開く新しい空間」で「いままでは愚痴の海に埋もれていた魅力的な言論が、ツイッターの出現によって可視化され組織化されている」と分析した上で、「日本の政治的言論の中心は、いま出版からネットへと移りつつある」として、その状況を知るための数冊の本を取り上げている。ここで注目すべきことは<出版>と<ネット>であって、<テレビ>が登場しないことだ。<テレビ>は政治的言論機能とし認知されていないのである。これは、<出版>と<ネット>という対比に絞ることが、進行しつつある現象の本質が見え易いからだろうが、そもそも東氏の中に<テレビ>が政治的言論空間として成立していない、という認識があるように思われる。やはり<テレビ>は「蝙蝠的」なのかもしれない。
 東氏は、特に「ダダ漏れ女子」のそらののゲリラ中継を評価しつつ「彼女の活動もまた、社会変革への提案という点で『論壇』の一部と見なすべきだろう」とし「おそらく今後は、緊急性や共感度が高い言説はリアルタイムネットで即座に拡散し、硬質な論考は論壇誌あるいはブログに『ストック』されるという一種の棲み分けが進行するだろう」と指摘する。ここでも、では<テレビ>はどうなる、という問題が残される。
 これは、もちろん東氏の問題ではなく、<テレビ>の側がどう考え、どう対峙するかという問題である。つまり、テレビの立ち位置は何処にあるのかということなのだ。

 同じ「論壇」の「あすを探る」欄で、福岡伸一氏は「触れてわかる『媒体の実態』」でi-Padの登場を取り上げ、「メディアとは、単にコンテンツやデータを載せたアーカイブではない。メディアとは、それに接すると流れが導かれ、反応を引き起こすものとしてある。そのとき初めて意味を持つ動的なものとしてある。そして、接するときのタンジブルさこそがその実態を示す」と述べている。福岡氏によれば、タンジブル(tangible)とは「触れてわかること。手触り感が持てること」だという。そして、氏はi-Padにタンジブルを感じたという。
 i-Padの商品としての評価はまだ定まっていないようだが、しかしi-Pad的なるものは間違いなくメディアの中心に位置を占めるであろう。そのとき<テレビ>のポジションはどうなるのかということが、ここでも問題なのだ。福岡氏の言う「メディアとは、それに接すると流れが導かれ、反応を引き起こすものとしてある。そのとき初めて意味を持つ動的なものとしてある」というのはまったく同感だ。そして、<テレビ>はかつてそのように存在し、また今もそのように機能する可能性があるのであって、数多ある電子メディアの中でその一点を再構築することが、<テレビ>の「将来像」の原点なのだ。それが「将来研」の基本スタンスだった。
 だが、テレビ情報と視聴者の「接点」であるリモコンは、まさにリモートという動作に示されるように、タンジブルという点で「動的」要因が脆弱なのではないか、と思ってしまう。もちろんテレビはプッシュ型のメディアとして成長し、それによってここまで影響力を行使できたのだ。しかし、「テレビの公共性とは、テレビ情報により視聴者・利用者・市民の相互間にコミュニケーションの<場>を形成することだ」と「将来研」の<総括>で書いたのだが、それだけでは進行しつつあるメディア状況において、<テレビ>の立ち位置が明らかになるというものではなさそうだ。<総括>のレビューが必要だと思ったのは、ますます確信に近い思いとなっている。

 そう思わせるもう一つの事象として、地デジ移行があと1年に迫っているということがある。1999年に民放が「デジタル移行は不可避だ」と宣言してから10年余、その間地上テレビ放送事業者は営々とデジタル化を進めてきた。しかし、この10年ツイッターやi-Padを直近の例として、2チャンネルやブログ、そしてケータイの普及は勿論、Googleの電子図書館やクラウド・コンピューティング、「光の道構想」、などなど、電子メディアの変貌は凄まじい。テレビ局とて、ブロードバンド・ビジネスの黒字化などそれなりに頑張ってはいるものの、テレビメディアそのものはデジタル化という枠の中での悪戦に終始してきた。まさに、「時代が自分を追い抜こうとしている」とはテレビ自身のことなのだというのは、その意味なのである。いわゆる「融合論」者が、「そんなことはとっくに言っていたではないか」というだろうが、それは無視してもいい。彼らがなんと言おうと、どういう状況で何をどう認識し、どういう選択をするかは、われわれの問題なのだから。だから、問題はこうなる。「地デジの意味は何なのか」そして「デジタル情報社会の中でテレビの立ち位置は何処にあるのか」、その意味をあらためて問う地平に、今私たちは立っているのである。
 少なくとも次のことを考えてみるべきだろう。

  1. IPTV&ネット同時配信
    テレビ情報をテレビ以外の媒体、地域限定を超えて同時配信すること。
大事なことは、テレビ局が提供する情報の接点を可能なかぎり多様化することであり、それによってテレビの情報空間を有機的に構築することである。
  2. 情報空間のコラボ
    インターネット(ウェッブ)情報空間とコラボレーションすること。
早い話が「融合」である。一頃の「融合論」はネットがテレビを呑み込む型のものだったが、今、議論のレベルはそれほど単純ではない。ツイッターであれ「ダダ漏れ」的中継であれ、テレビの直ぐ隣で起こっていることなのだから、如何にコラボするかが問題なのだ。但し、その時要注意なのは、「使ってもらう広告」の須田さんが言っているように「彼らはプロなんかに踏み込んで欲しくない」と思っているであろうから、それはそれで付き合い方は考えておく必要があるだろう。
  3. ユーザーという存在
    視聴者=ユーザーであると承知すること。
テレビにとっての視聴者は、ウェッブではユーザーである。ユーザーはひとりひとりが主役なのである。その彼らが政治的言論空間を形成するということと、マスメディアとがどのような関係におかれるかは、私たちが経験していない新たな状況なのである。謙虚にしかし大胆に、ユーザーがどのような目線で世の中を見て感じているか、まずそれを知ることから始めるべきだろう。ユーザー目線を知るとは、彼らと単純に同化することではないし、またそれは不可能であり、意味もない。繰り返すが、彼らの世界にどう接するか、時代に追い抜かれないための、あるいはどう追い抜かれるかのための方法が必要なのだ。

 「ヒトが地球上に出現しておよそ700万年。紙がタンジブルだった数千年は、その中の一瞬として、まもなく確実に終わる。しかし、流れとして、その流れ方としてのメディアは私たちとともにあり続ける」(福岡伸一)として、テレビジョンはどのような位置にあるのだろう。たかだか50年のテレビの歴史の意味は何か。そのことに向き合うだけでも、テレビジョンがなすべきこと、考えるべきことはまだまだあるのである。

 「放送人の世界 今野勉〜人と作品〜」の3回目で「こころの王国〜童謡詩人 金子みすゞの世界〜」(NHK 1995) 」を観て、読み止しのままおいてあった今野さんの「金子みすゞ ふたたび」(小学館)を読み直した。これは、番組の続編でなく、再構築作業だと思った。いくつかの感想を書いておく。私は、今野さんが書いたか金子みすゞ以上のものを知っているわけではない。

1. 金子みすゞの詩は童謡ではない。これは今野さんも最終章でそのように書いている。みすゞの詩のシュールさは、子供のためのロマンではなく、全くの自己表現であると思う。失ったもの、あるいは手にしえなかったものへの憧憬と、絶対的にそれを我が物にしえない虚無。それが美意識に昇華したのがみすゞの詩ではないか。
2. 金子みすゞの詩は、基本的に七五調で作られているが、それは藤村以後の日本の近代詩のリズムを借りながら、どこかご詠歌の悲しさ・虚しさに通じているように思える。それが、今野さんのいう仏教的な世界への傾斜による心理が滲んでいるためか、それともみすゞの祖母が口ずさんだという浄瑠璃的な音色が背景にあるのかはわからないが…。
3. 詩で頻繁に使われる「お母さま」「お父さま」という言葉は、いつ日本で使われるようになったのだろう。母上でもなく、母ちゃんでもない、今やほとんど死後に近い些か人工的なこの言葉が、日本文化に持つ意味はなんだろう。大正期に急速に興隆したと思われる童話・童謡などの児童文学で使われるようになったのだとして、それは何時、誰が、どの作品で使ったのか。「童話」のような投稿雑誌があったのだから、そのような言葉に接することは地方都市でも比較的容易だったと考えられるが、では、教科書では使用されたのか。また、ラジオ放送ではどうなのか。大逆事件以後の「冬の時代」から、大正リベラリズム(あるいは大正ロマンティシズム)への移行の力学は何だったのか。文化社会システムの転換とみすゞの詩、そしてみすゞの生と死はどのような時空で関係したのか。
4. みすゞが日常的に母親を「お母さま」と呼んでいたとは考えにくいが、どうだったのだろう。日常の言葉と人工的な言葉の差にみすゞは意図的に何かの思いをこめたのではないだろうか。因みに、東京山の手生まれ、鎌倉育ちの私は、幼少時に親を「お父さま」「お母さま」と呼ぶように躾けられたが、比較的いわゆる文化的・教養的といわれる鎌倉でも、それは少数派だったように記憶する。
5. 「親が子に、何を言い遺していくか、案外難しいものだな、と私は、はじめて『父の自伝』を読んだ時、思った。そして、みすゞの母・ミチは、自分の夫の死の真相をどこまでみすずに話したのだろうか、と、反射的に考えた」と今野さんは書いている。これが、今野さんが「金子みすゞ ふたたび」」を書く一つの(最大の?)モメントだったと思う。親から何も言い遺されないままに母の欠落と父の不在を経験した私のなかで、みすゞの詩によってある<固有>の感情がもたらされることにつながる。そのこと、親の欠落と不在について書いておくべきか。「書かんとして、書かざりしことども」というべきことなのだが、そろそろ「親が子に言い遺す」こととして考えてみようかと思った。「金子みすゞ ふたたび」は、思わぬ気持ちのざわめきを私にもたらすことになったようだ。両親の家の系譜図を見ながら、憮然としている。
6. 「金子みすゞ ふたたび」では、捕鯨の話が出てくるが、中沢新一の「すばらしい日本捕鯨」(「純粋な自然の贈与」講談社学術文庫)で描かれている、捕鯨の神秘性のことを思い出した。



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