TBS-MRI TBSメディア総合研究所
home
メディア・ノート
    Maekawa Memo
No41.「テレビジョンとインターネットの『入れ子構造』という仮説について」
(未定稿・06年1月版)  2006.1.15

(4) とりあえずのまとめ
 こうした整理が情報分野の制度設計という観点から有効な問題提起になっているかどうか、しかし情報通信審議会関係や規制改革・民間開放会議の動きを考えると、どうしてもこう言う論点が欠落しているとしか思えない。1月に設置される通称「大臣懇」でも、このような観点からの問題の提示があるとは思えない。だが、それはそういうものなのだ。同じテーブルで議論するのは無理ということだろう。衛星から地上波まで、デジタル化政策に民放サイドから関わりつつ行き着いた思いは、「メディア論から政策は生まれない。政策とはそういうものである。しかし、メディア論から政策を撃つことは可能であり、それにより生まれる両者の緊張がより高度な政策を生む。」ということである。とはいいつつ、このような認識が実態としてそのように有効に機能しているかと言えば、甚だ心もとない。だが、政策過程の現場に踏み込むことで、テレビジョンのあり方がそれこそメディア論的に少しは見えてきたように思う。テレビジョンは制作から経営に至るまで常に「行為として」経験されるものである。その意味で、ここで述べてきたことも「行為としてのテレビジョン」に他ならない。では、「行為としてのインターネット」は如何に成立するのであろうか。その問いの意味を、ネット事業者は受け止められるや否や?

 最後に、簡単に全体のまとめをしておこう。インターネットと放送、特にテレビとの関係を考えると、次のようになるだろう。
1. インターネットは急速に普及し、ネットワーク社会は成長過程にあるが、それがどのような成熟したメディア環境を形成するかは見えていない。
2. マスメディアとインターネットは、夫々生成の歴史的・社会的背景を異にするものであって、「融合現象」の進展を考察する場合も、この点を明確に踏まえる必要がある。
3. インターネットは地域的あるいは国際的コミュニケーションネットワークとして機能することが特性であり、国家単位のメディアではない。
4. マスメディアは、国民レベルにおける情報共有システムとして[情報編集機能=情報責任]による信頼関係の成立が前提とされていて、システムとして安定性や経済合理性が高い。
5. しかし、デジタル技術による情報編集機能の圧倒的拡張とインターネットの普及による情報交換の質的飛躍は、情報社会におけるマスメディアの影響力を相対的に小さくしつつある。
6. 現在の情報系において、テレビとインターネットは「入れ子構造」を形成している。テレビはインターネットを構造的に取り込まなければ、情報社会のなかで影響力を急速に低下させるであろう。一方、インターネットはテレビ中心に形成されてきた情報系を環境として受け入れつつ、自らの未来を選択するであろう。
7. テレビとインターネットのメディア論的相異は、国家との関係性の問題でもある。テレビは出自そのものにおいて国家と無縁ではない。その距離をどう客観的に認識するか、この「問い」はテレビにとって宿命的である。これは、報道であれエンタテイメントであれ変わらない。総体としてのテレビジョンとは、そのような存在である。
8. インターネットにはこのような問いは自明ではない。しかし、ネットワーク社会の発展は不可避であるが故に、デジタル情報流通における[自由と規制][自由と管理]の関係がいま問われつつある。
9. 有限な財である周波数資源の適正な配分について、経済効率・制度設計・メディア機能のトライアングルにおいてに検討されるべきである。
10. こうした検討のためには、それぞれの専門領域における検証とともに、それを超える発想とその発想を有効に受け止める「場」の設定が不可欠であろう。

 地上波のデジタル化の作業は、地べたを這いずるような仕事である。1万を超えるデジタル中継局の置局、127番目のローカルテレビ局の状況を常に視野に入れつつ対応するのは容易ではない。こうした作業のあり方自体が、競争原理・市場主義から見れば「反時代的」ということになるだろう。しかし、放送の世界に身を置く以上は、それも含めた方向付けが今問われているのであって、対応不可能なところは置いて行くというわけにはいかないのである。もちろん、結果として幸せに2011年を迎えられないローカル局はありうる。その場合、どのような選択がるのか。それを内側の目線で考えることは、この世界にいる者の仕事である。この現実と、今までここに書いてきたことはどう関わるのかといえば、メディア論と政策の関係は、「現場」ではこのように立ち現れる、としかいいようがない。両者が何処で交点を形成するのか、即ち「メディア論で政策を撃てるか」はいまだ見えていないが、複眼の思想が求められていることだけは間違いない。
  いずれにせよ、内部からの変革の力学と無縁の政策は、混乱と頽廃を残すであろう。

<< BACK  



TBS Media Research Institute Inc.