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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No75.
「[信用/情報インフレ現象と<あるある>問題] 2006年度総括メモ(2)」
2007.6.1

  最新の「新・調査情報」5-6号(ここをクリック)の評判が良いという。特集「演出といわゆる『やらせ』をめぐって…」が、<あるある>状況の関心に応える企画だからだろう。

 人はある情報について何を理由に信用するのだろうか。
 おそらく、第一にその情報で行動を選択したときに「有用(有益性)」であったからであり、第二にその情報である事象(生活から世界まで)を上手く「説明(納得性)」できたからであり、第三にその情報に何らかの「意味」を見出した場合であるだろう。いずれも、経験知というべきであって、その蓄積が情報提供者(個人・メディア・国家、など)を信用させ、したがってその情報提供者の提供する情報は信用しても良いという蓋然性が成立することになる。ところで、情報を信用するという行為には、もう一つの傾向があると考えられる。それは、「みんなが信用しているから自分も信用する」という、兌換性を保証されない通貨の信用性と類似の構造であって、提供された情報の信用性を個人が一つ一つ経験的に検証しているのでは、社会的行動から疎外されてしまう現代では、大半の情報をこのように判断するしかない状態に人々は置かれている。
 情報流通がマスメディア型とネット型との多層的複合的構造として形成されることで、情報は膨大な量として氾濫している。いわば情報インフレ現象の様相を呈している。「みんなが信用しているから自分も信用する」という情報行動の危うさは、金融にたとえるなら「情報恐慌」が出現するのではないかとさえ思われる。
 さて、マスメディアには「異議申し立て機能(権力批判)」と「共通の意識空間の形成機能」があり、特にテレビは後者の機能において優れているため、そこにネット型情報流通とは異なる存在理由を再確認することができるのだが、それだけに国家との距離を常に意識的に緊張関係を持続させなければならない。これはテレビの宿命的ともいえる構造であって、エンタテイメント情報もその埒外ではない。
 そうだとすれば、「より多くの人に見ていただく」ことで成立するテレビの経営原理の根底には、「異議申し立て機能」と「共通の意識空間の形成機能」とともに「情報の信用性」が内包されていなければならない。その場合、信用とは「事実を曲げない」ことによるだけではなく、事象の意味を伝えることにより形成される。「意味」というのは危険を伴うものであるが、しかしそれがジャーナリズムというものなのだ。「言論の多様性の確保」が、放送法の基本原理の一つである理由もそこにある。そうであることによって、ドキュメンタリーにおける演出や、表現としてパロディーや風刺がテレビにおいても成立するのである。国による情報規制は、表現の自由という民主主義原理に反するというのは当たり前の話であり、問題はマスメディアの原理と構造をテレビ自らが認識した上で「情報の信用性」についての論理構築をすることが出来るか否かである。放送法改正に反対し、BPOの機能を強化したことはテレビとしての基本的対応である。 だが、同時にネット社会の成長の中でテレビは情報とどう向き合うかというテーマを、自らを客観的に捉え返す行為として認識することが必要なのである。それは、経営から制作現場に至る課題なのだ。再発防止とは、再発させないというだけでなく、「何を防止したか」あるいは「できなかったか」という経験の蓄積なのであって、何よりもテレビの内側の問題なのである。いうまでもなく「内側」とは「外側」との接点を認識することで成立する。その場合、テレビの内側とは制作会社のスタッフも含まれることは言うまでもないのであり、そこにメディアノートNo73(5/1…ここをクリック)に書いた「モチベーションの成立を継続させる環境の形成」が問われることになる。
 ネットワーク社会の出現は、デジタル技術による情報構造のブレークスルーによるものであるが、それはテレビの情報行動の問い直しを迫るものでもあるのだ。この1年が「竹中懇(あり懇)」に始まり、<あるある>で終わったことの意味を問うこと、その交点の構造を考えることが、テレビの現在を背負う私たちの原点なのである。



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