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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No130.
[新政権の情報通信政策]
-民放事業者が考えるべきこと-
2009.9.15

 衆議院選挙の結果が出て、その分析や今後の展望について様々な議論が展開されている。情報分野における今後の政策がどうなるかが、当然のこととして気になる。これについて取りあえずの検討材料は、民主党政策集[INDEX2009](民主党ホームページ参照)であろう。その「郵政事業・情報通信・放送」の項では、通信・放送関連として6項目が示されている。簡略なものなであり、これがそのまま政策化されるかどうかは不明だが、一定の考えが示されていると思うので、夫々について放送事業者として何をどう考えるべきか、その論点をノートしておくことにする。

[NHK改革]
 ここでは、「経営改革と体質改善を推進し、NHKが法令順守を徹底するように厳しく監視します」と書いてある。NHKといえどもメディアである。それを「厳しく監視します」と書くことに躊躇はないのだろうか。そこに危うさを感じる。NHKは公共放送であって国営放送ではない。民放はNHKの肥大化などについ批判的視点で発言するが、しかしNHKが国の管理下に置かれることが良いなどと考えるはずもない。NHKの自主性が損なわれてはならない。言うまでもなく、NHK予算や会長人事など、政治システムとNHKの関係は極めて深い。メディア・コントロールは常に政治の関心事だとすれば、NHKへの国の関与が増大することは、放送全体への介入の導入部となりかねない。NHKとはどのような存在であるべきか、そのことを変化するメディア状況、そして新たな政治状況において、民放は考える必要がある。単なる「二元論」や「肥大化反対」では本質的な問題は見えてこないだろう。

[通信・放送委員会(日本版FCC)の設置]
 これについては、前号で述べた(No.129.ココをクリック)。「(独立行政委員会として通信・放送委員会の設置により)国家権力を監視する役割を持つ放送局を国家権力が監督するという矛盾を解消するとともに、放送に対する国の恣意的な介入を排除します」としている。恣意的介入はもとより、そもそも介入は原則的にあってはならないが、では独立行政委員会としての「通信・放送委員会」の<独立性>はどのように担保されるのだろうか。行政委員会というからには、政府機関であることに変わりない。そうだとすれば、何よりも放送法の基本である放送事業者の「自律的」対応を前提として、行政措置としての行政指導を抑制し、政府機関とは別の仕組みによる検証、判断、措置の権限を有する民間の仕組み(現BPO)を尊重するべきだ。「NHKを厳しく監視する」という認識と、「国家権力を監視する役割を持つ放送局を国家権力が監督する矛盾を解消する」という政策提言とは、まさに「矛盾する」のではないか。[NHK改革]の項とともに民放事業者が考えるべきことは、『自律』とは自己規制への傾斜ではなく、ブレない<軸>の形成である。

[通信・放送行政の改革]
 「通信・放送の融合時代に対応した法制のあり方を検討します」とある。先日答申された「通信・放送の総合的法体系のあり方」とどういう関係で取り上げられるのだろう。2006年6月の「竹中懇」報告書以来、今回の答申に至るまで様々な議論と紆余曲折の経緯があった。まず、それらを十分に踏まえたうえで議論されるべきであろう。また、「クロスメディア所有(同一の者が新聞・テレビ・ラジオなど複数のメディアを所有すること)の是非も含めたマスメディア集中排除原則のあり方を検討します」とある。これは確かにある意味では「政治的イシュー」であり、業界内からは提起されにくい論点である。若しこの問題に踏み込むならば、「放送における言論の多様性とは何か」という原理的な問題と、融合現象は通信と放送の関係だけでなく、新聞等の電子メディア以外の分野との関係でも進行しているということとを付き合わせた議論が必要である。統合型のメディアビジネスの形成をどう考えるかということでもある。このテーマについては、放送側から踏み込んだ提言があるべきで、そうでないと相変わらず「防御的対応」に終始することになるだろう。
 「総合的法体系」の“最大の論点”である「コンテンツ規律による事業開始」については具体的に触れられていないが、放送における言論に関する規制は所有規制を原則とすべきであることを、民放事業者は明確に主張し続けなければならない。「答申」において免許や事業開始手続きについて現行法以上のものは「何も付け加えない」ということを、罰則等行政措置においても明示するよう、求めることも必要であろう(これについてもNo.129参照)。

[電波の有効利用]
 この問題(特にオークション制度)についても、何度も議論されてきた。周波数の国際的割り当ては国連機関であるITUの審議によるものであり、第2次世界大戦の敗戦国は戦勝国に比較すると劣位に置かれている。そうした周波数資源を稠密に利用している日本において、オークション制度が合理的かどうか、実証的な検証が前提となろう。

[情報格差の是正]
 「情報ネットワークの構築が遅れている地域に情報格差が生じないよう、(略)必要な環境整備・支援を行います」というのは、まったくもっともである。しかし、ここではテレビのチャンネル格差問題や<あまねく普及>問題は触れられていない。あわせて、地上放送の地域免許制のあり方も考慮されていない。地上民放の産業的・経営的な最大のテーマは、地方分権問題と深くかかわっている。[INDEX]が現行制度を是としているのか、それとも問題意識の外にあるのか、それは不明である。とはいえ、この問題についても、放送事業者が自らの将来のこととして議論を避けているわけにはいかないのだ。

[地上デジタル放送への円滑な移行]
 ここにあげられている政策課題は、ほぼ「情報通信審議会」の中間答申と同じであり、新政権としても必須のものだと考えられる。

[インターネットを用いたコンテンツの2次利用促進]
 「インターネット上でのコンテンツの活用を図るため、著作権保護に配慮しつつ、著作権処理の円滑化に向けて抜本的な検討を進めます」とされているが、これが報酬請求権のみで利用を促進し許諾権を制限するという意味だとすると、権利者の了解を得るのは容易ではないだろう。現在進行中の検討作業をどう受け止めるか、まずはそこからではないだろうか。
 インターネットとコンテンツに関する政策としては、むしろグーグルの電子図書館について日本としてどう対応するのかという問題の方が、国際的かつ文化的テーマではないだろうか。この問題は、放送業界でもあまり議論が展開されていないようだが、常々「放送は文化だ」と主張しているのだから、より強い関心を持つべきであろう。「あれは印刷文化の話だ」といっているわけには行かないように思えるのである。

 さて、放送事業者にとって問題は何か。何よりも、これまで自明であると思ってきたことを「果たしてそうか」と意識することがスタートであるべきだろう。放送にとって原点は何か、様々な対応の中でブレがあってはいけないのは何か、政権交代はそうしたことを検証するチャンスである。前にも書いたが、放送の公共性や基幹的メディアとしての機能・役割は、定理であって公理ではない。そうであるとすれば、定理は証明されなければならないのである。

 一週間ほど、大連・瀋陽・長春と、旧満州国の主要都市を見てきた。そのことは、次回に書いてみるつもりだ。




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