TBS-MRI TBSメディア総合研究所
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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No147.
[情報“系”の中のテレビジョン]
2010.6.1

 このメディアノートを終了することにした。次回が最終回になる。
 6月18日でメディア総研を退任する。2004年5月にホームページを開設してから6年。「更新しないホームページなんて意味ないですよ」といわれて、メディアノート欄の月2回更新は、どんなに忙しくても意地でもやろうと決めたのだが、どうやらそれは達成できたようだ。書けば良いというものではないが、ともかく何かを記録しようと思ったのだった。自分にとってはそれがよかったと思う。読んでくださった方は、何を勝手なことを、と思われたかもしれない。そうだとすれば、それは書き手の力不足である。

 バックナンバーを眺めてみると色々思うことがある。なんといっても思い入れの強いのは、亡くなった村木さんのこと、そして文庫版で復刊されたTBS闘争の記録「お前はただの現在に過ぎない」について書いた文章だ。テレビについて考えるようになった原点だからである。いま、ネット/ウェッブの情報“革命”が進行中だが、そのなかでテレビがどういうポジションを占めるのかを考えるときも、村木さんのテレビ論やTBS闘争の経験が下敷きになっている。もしそれがなかったら、ただの守旧派的な「テレビ基幹メディア論」か、時流に乗った「ネット至上主義」に嵌っていたかもしれない。

 TBS入社が1964年。東京オリンピックの年だった。オリンピック中継はカラーだったが、通常編成ではG帯以外の番組はまだ白黒だった。思わず入ってしまった!テレビの世界でウロウロして数年、TBS闘争への関わりは決定的だった。大学入学の年、1960年の安保闘争、というよりも正確に言うならばその後の空白期間の経験、例えば思想あるいは表現と政治との関係など未消化のまま宙吊りだったものが、TBS闘争に関わったことで一挙に<テレビジョンとは何か>という問いとして結びついたのだった・・・と、いま思い起こしている。そういうことも含めて、赤坂に通って46年余。汎用性の低い割にはよくここまで来たものだ、という感じだ。

 その赤坂の風景もずいぶん変わった。入社したころから続いている店は数軒しかない。午後出の時には芸者が稽古する三味線の音が二階から降ってきたり、黒塀の曲がり角には人力車がひっそりと置かれていた。そうかと思えば、そこからほんの少し行くと、夜になれば怪しげな?外人たちが出入りするクラブだかキャバレーが白けた午後の日を浴びていて、その間にしもたや(仕舞屋)が入り混じったりする不思議な街だった。というより、バタ臭い店が後から登場して、仕舞屋の家並や花柳界を侵食してそうなったのだ。古い赤坂を知っている人からは、「それもこれもTBSが赤坂を悪くしたのだ」などと言われたりした。金のない学生生活を送った身としては、会議や打合わせのときに出てくる贅沢な弁当に驚嘆したものだった。今は昔だろう。
 ・・・と、ここまで書いたところで昼食に出た。赤坂で食事をする回数も限られてきたので、最近は心して店を選んでいる。今日は砂場で「天もり」にした。砂場といえばこれも新人のころ、「蕎麦屋に行こう」といわれて「ハイ」といったのだが、 値段を見てびっくり。仕方なく「ざる」といったのだが、出てきた「ざる」が箸三回でなくなってしまったので、またまたびっくり、だったことを思い出した。

 42歳まで番組制作現場にいたのだが、この世界は天性の才能がなければ一流になれないと痛感した。野球でいえば、打率2割5分は努力で打てるが、3割打者は天分が必要といわれるが、それと同じだ。その上、努力というのは余り得手ではない。 自分の限界を意識し始めたころ、心身とも疲れ果てる仕事が続いて「もうイイカ・・・」と思っていたのだが、そんなタイミングで 総合開発部という何をするのか分からない組織に異動することになった。それが後半戦の始まりだったことが幸いだった。以後、今に至るまでテレビ業界にいながらテレビを客観的に見ることになる。もちろん、心情的にはテレビへの思いは強いし、それがメディア状況を考えるモチベーションであることは間違いない。

 先日、大阪でこういう立場での最後の講演の機会があった。
 メディアノートで最近書いたことなどを整理しつつ、「時代に追い抜かれる」ことよりも、「どう追い抜かれるかが大切だ」という話をした。また、テレビの「地域非限定ネット同時配信に踏み込むべし」ともいった。そして、「ジャーナリズム機能や広告媒体機能はネットでも可能になるとすれば、マスメディアに残るのは社会秩序維持機能しかなくなり、国家が放送に求めるものと期せずしてシンクロしてしまう恐れはないのか」、という話もした。そして、「ネット・ウェッブの情報空間の構成要因として自らを位置づけることこそ、テレビが選択するべき道である」というのが結論だった。
 これはまさしく「融合」である。ネットとテレビを並列して考えるという二項対立的発想はもはや無効である。「テレビは有限、ネットは無限」という意味は、そういうことなのだ。テレビがなくなるわけではない。しかし、それはネット社会の中でどう機能するかということである。
 「インターネットはテレビを環境として受け入れることで将来を選択する」とは、このメディアノート(No41.「テレビジョンとインターネットの『入れ子構造』という仮説について」2006.1.15.ココをクリック及びNo43.「『入れ子構造論』補論」2006.2.15.ココをクリック)で書いたことなのだが、いまやテレビはインターネットを環境として認めたうえで、その環境の中での未来を選択しなければならない。だからといって、勝負に負けたわけでは全くない。そもそも、そういう勝負ではない。テレビがそういう時代を迎えたということなのである。
 (これも持論なのだが)「系」という言葉がある。何々党系とかJNN系とかという使い方をする。しかし、「系」とは生態系という言葉があるように、中心から端っこへあるいは上から下へという意味ではなく、そこに存在するものがそれぞれに自身の存在理由によって多様に生きている状態を言う。森林系であれば、樹木、草、羊歯、苔などの植物や獣類、小動物、鳥類、昆虫、などの動物、微生物、菌類そして空気と水、などなどにより構成される全体をいう。情報環境もそうなのだ。情報系とはさまざまな媒体がそれぞれの情報を発信・受信しながら循環する総体であり、その中でそれぞれのメディアが生き方を選択することで成立するのである。もちろん、これまでだってそうだった。ただ、テレビは余りにも強力であったために、他の情報メディアとの関係を余り考慮しないで生きてこられただけの話である。
 ネットとデジタルの登場により進行している情報革命は、テレビにそのような生き方を許さなくなっている。テレビも情報系の一つの構成員として自らを位置づけないと、情報環境という「系」のなかで自分のポジションを見失ったまま自壊するであろう。これは批評の問題ではなく、経営の問題である。そして、制作会社も情報“系”の構成員である。テレビが(「テレビ局」ではない!)情報“系”の中で生きていけなくなるとすれば、番組制作という創造的、すなわち想像力の行使という人間的行為の「場」を喪失することになる。それがどれほどのマイナスであるかを考えるべきだ。環境問題と同じで、失われてからでは遅すぎる。

 一つ種明かし。
 この「系」として情報環境を考えるというのは確かに持論なのだが、種本がある。全共闘の運動が盛んだった時代に、当時の東大全共闘のメンバーだった林学科助手の村尾行一氏が書いた文章だ。「組織的構造を持たない組織。指導機関なき組織。拘束力なき決定・・・このようなものは果たして組織といえるだろうか。組織体というよりも、運動体ないしは運動そのもの、というべきではないだろうか」・・・「構造と意思決定がかかるものであるとすれば、『全共闘』はなにか固定的なもの-“一枚岩”!-として捉えることは出来ない。・・・格好な類比物は生態系、とりわけ森林生態系であろう。通俗的には樹木の集団とのみ考えられがちな森林も、実は、各種の、しかも複雑に入り混じった生物(植物・動物・土壌微生物)と非生物的環境からなる・したがって周囲を明確には画しえぬ一つの『系』として把握されねばならぬが、この森林生態系は、生物間の、また生物・環境間の均衡によって成立しているのであるが、この均衡は決して静止的・安定的なものではなく、破綻→新たなる均衡という過程が絶えず繰り返されている、動態的な均衡なのであり、したがって、生物の種・組成・分布・環境は絶えず変化しているのである。だから、それは不断の”自己否定”によって発展しているものといってよい。かくのごとく圧縮的に把えただけでも、森林生態系と『全共闘』がいかに相似しているかを知りえよう。とすれば、『全共闘』はまさに『全共闘』系として把握されねばならぬ(『代々木』系とのなんたる概念の違いよ!)。」(文中傍点略)(「情況」臨時増刊号1969.3.)
 90年代の半ばだったと思う。J“系”の研究会で「系列」としてのメディア戦略について話をすることになったときに、何故だか20年以上も前に読んだこの文章を突然思いついて、書棚の奥の古文書の束を探してみたら、その中から出てきたのだった。読んだ当時に「なるほど、さすが林学科」と思ったのを覚えている。
 以後、系列ネットワークや情報環境の変化の中のテレビジョンについて語るときの一つの「抽斗」にしている。組織やその機能というものを、中心から周辺に、あるいは上から下へと固定的に考えないということは大事なことだ。それぞれの構成要因がそれぞれに関わりつつ個性的に振舞うこと、そのようにして全体=環境が存在する。テレビ系列の“系”も、情報系の“系”も、そのようにして成立しているのである。だからこそ、テレビジョンはいかにして情報“系”の構成要因になりうるか、が現在的テーマなのである。
 種明かしというのは、余りしないほうが良いのだが、もうこのノートも終わりなのでおまけである。

 この村尾さんが書いた別の文章で、東京大学農学部林学科の実習では『木を伐るときには斧を構えてオーッと言え』と教えることを例に挙げて、東大の教育研究の頽廃を批判していたと思う。それを読んで思わず笑ってしまったが、今、テレビの現場で新入社員や制作会社のスタッフに対して似たようなことが行われていないだろうか。あるとすればそれはテレビの頽廃である。そう想像すると、あのときの笑いが冷めていく思いだ。




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