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メディア・ノート
    Maekawa Memo
No115.
[情報規制については、限りなくナーバスであるべきだ]
-総合的法体系の『検討アジェンダ』についてのメモ-
2009.2.1

 情報通信審議会の「通信・放送の総合的な法体系に関する検討委員会」(以下、「委員会」)が、[通信・放送の総合的な法体系に関する検討アジェンダ](以下、「アジェンダ」-ココをクリック)を作成し、これを公表した。周知の通り、総合的法体系問題は、竹中総務大臣(当時)の私的諮問機関として「通信・放送の総合的な法体系に関する懇談会」(以下、「懇談会」)が設置され、その後「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」(以下、「研究会」)の議論を経て、現在に至っている。こうした経緯を振り返らないと、現段階の問題のありかは見えにくいのだが、そのことは「月間民放」(2008年9月号)などに書いたし、このメディアノートでも何回か触れた(No52-ココをクリック,No88-ココをクリック)ので、そちらを参照して頂きたい。
 さて、この「アジェンダ」を何度も読み返したが、あまり分かり易いものとはいえない。「分かり易くない」というのは、書かれていることそのものについてだけではなく、「懇談会」「研究会」「委員会」という流れの中で、「アジェンダの位置づけ」が良く見えないということもある。もちろん、総務大臣による諮問を受けているのだから、作業手順からいえば「アジェンダ」による検討が行われ、適宜パブリックコメントなどを織り交ぜながら「答申」が行われ、その後に法改正案が審議され、国会に議案として提出されるということになるのだろう。しかし、こうした検討作業を展望してみても、この後で触れる「原理・原則」的な議論が何処で行われるかが見えないのである。法案の段階までは対象としないのだろうか。それとも、それはもう済んでしまった議論なのだろうか。そうだとすれば、それは「表現の自由」という文言が頻繁に登場する「研究会」の報告書なのか。言葉が多く出てくればそれでよいというものではなかろう。
 こうした「分かり易くなさ」を、もう少し現実的な状況として推測すれば、法体系の検討という原理・原則的なものが求められる作業にも拘らず、現行の法体系下で事業が行われ、それによる視聴者・利用者の情報享受も成立しているため、全くの白紙から組み立てるわけには行かず、その上それぞれの事業者利害が入り組み、それらの「イイとこ取り」的な「現実解」を求めたためではないだろうか。これは、飽くまでも「アジェンダ」であって、その検討作業の後から原理・原則的骨格を組み立てるつもりなのだろうか。それとも、1.「.法体系全般」に記述されているように、「市場の水平化」と「事業者間の垂直的連携」という市場環境に対応するために、「『コンテンツサービス』、『伝送サービス』、『伝送設備』の3つのレイヤーを観念した上で全体として合理性のある法体系に改め」ることが原理・原則的であると考えているのであろうか。
 しかし、まず何よりも大事なことは、「市場環境の変化」以前に「情報環境の変化」があるのであって、それが事業者にとってではなく市民・国民にとって何なのか、知る権利や、表現の自由や、通信の秘密とどう関係するのか、などがこの法体系においてどう扱われるのか、ということであろう。「これはアジェンダだから、そういうことには触れない」ということか、それとも「当たり前すぎて書く必要がない」ということなのか、そこが良く分からない。たった1行「このアジェンダに基づく検討においては、情報に関する基本的人権との関係を前提とし、その法的あり方は全体理念として明示されるものである」という趣旨が書かれるべきではないか。そうした問題を取り込むと「神学論争になって、『政府・与党合意』の工程表に間に合わない」ということかもしれない。だが、それは、真っ当な疑問を伏せることにより、疑心暗鬼を含めた様々な憶測を呼ぶことになる。情報についての規律・規制に関しては、私たちは細心の注意を払って臨むのが基本であり、かつ常識であることを忘れてはならない。
 だが、そうしたことについて、「懇談会」「研究会」「委員会」という流れの中で、先に触れた「研究会」の報告書も含めて、何らかの合意が形成されたとは考えにくいし、その合意が前提とされているとはアジェンダには書いてない。書いてない重要問題は、こちらで考えるしかない。 それが、いまメディアに関わる者の責務であろう。このことは、また別途書くことになるだろう。

以下、具体的な記述についての疑問を書いておきたい。
1. 「法体系全般」で「通信か放送かの区分にとらわれないサービス」という記述があるが、そうだとすると「通信と放送の区分」は前提とされていると読める。その「区分」は、従来の概念のままでよいのか。そうだとすると、「(どちらの)区分にとらわれない」あるいは「どちらでも可能な類似サービス」が問題なのであり、特に「懇談会」当時指摘されたのが「放送コンテンツの通信への提供」であることを考えると、「地上放送の他メデイァへの配信のあり方」と「地上放送の地域性のあり方」が重要な検討課題となるものと考えられるが、これについて論点は曖昧なままである。もちろん、地上放送事業者にとって、これは危険な論点だが、「委員会」として曖昧でよいのだろうか。
   
2. 「伝送設備規律」において、電波利用についての検討項目が書かれているが、電波利用ではない伝送設備、つまり有線系の伝送設備は検討外なのか。電波=無線系と有線系とは規制において区別されるとすれば、その理由は何か。
   
3. 「伝送サービス規律」について、その意義を「電気通信設備を他人の通信の用に供するサービス」という方向で検討するとされているが、この場合の「他人」とは、事業者と個人との両方を含んでいるのか、また「通信」には放送が含まれているのか。後段を読むとそれぞれ、「事業者」を意味する、「放送を含む=役務利用放送・受委託放送・有線放送など」と読めるように思うのだが、それで良いのか。地上放送のように「自己」の情報を伝送する場合は、この「伝送サービス規律」の規制対象ではないということで良いのか。
   
4. 「コンテンツ規律」については、「コンテンツ」や「メディアサービス」が何を意味しているのか、カタカナ語を全て排斥せよとは言わないが、規律・規制の議論は、日常語のように大体通じるというレベルで行われるべきではない。例えば、コンテンツを「情報」、メディアサービスを「情報配信」といったときに、何が不都合か。後段で「番組」という用語が出て来るのは、現行法にある用語だからであろう。伝送設備についてはインフラストラクチャーとは書いてない。何故だろう。カタカナでも良いが、意味・概念は明示すべきだ。「情報」も「番組」も、もちろん翻訳語である。カタカナは便利だが、抽象力・思考力が減退する・・・これは余談。
   
5. 「有限希少な電波」という言葉が出てくるが、電波の有限希少性は「懇談会」以後の議論では、規制根拠としての意味は薄れていると認識されてきたのではなかったのか。
   
6. 「表現の自由享有権については維持する方向で検討する」とされているが、現行法体系ではその根拠は電波法にある。「総合的法体系」では、コンテンツ規制に含まれている。そうすると、周波数の利用権利(免許)と情報の多元性は、異なる規制原理になるのか。それは、レイヤー間規律の問題だというのなら、少なくとも放送についての規律規制は簡素化ではなく煩雑化の方向に向かっているように思えるのだか、どうなのか。
   
7. また、この規制(いわゆる「マス排」)は、現行法制度における「放送の多元性」に対応するものであるが、「多様性」「地域性」という同様の放送の規律規制の原則は、どう認識されているのか。
   
8. コンテンツ及び利用者の両方の項で、「技術基準」が検討対象とされているが、いわゆるデファクト・スタンダードとの関係はどうなのか。IT市場では、デファクト志向が主流であると考えられる中で、技術基準というデジュール型の規律を求める場合、その論拠は何か。
   
9. 特定の法人(NTT及びNHK)の位置づけについて、「影響が出る場合に検討する」とされているが、これらの特定の法人はレイヤー型法体系の埒外ということなのか。「総合的法体系」の検討そのものは、情報市場の活性化が最大のモメントであったのだが、そうだとするとNTTやNHKは市場に影響力を持たないということを前提としているのか。その理由は何か。「NTT法」「NHK法」が別に存在するとして、それで「総合的法体系」といえるのか。
   
10. 「既存事業者については、原則として現在の地位を実質的に継承する方向で検討する」と書かれているが、「地位」とは何か。法的な「地位」ということであるならば、無線局免許による放送局が放送事業を営むということであろうが、その場合コンテンツ規律による認可(あるいは審査)は想定されていないということなのか。「原則的」あるいは「実質的」というのは、「何らの変更がないことを意味しない」ととれるが、そうすると「地位」とは法的な意味ではなく「事業継続性」ということであって、無線局免許という規制形態は「変更されることもありうべし」ということなのか。
   
11. 「紛争処理」について電気通信事業紛争処理委員会の存在を前提としているが、その位置付け自体も検討されるべきではないのか。何故ならば、「公正競争の確保」のための紛争処理であるならば、許認可権を持つ行政組織とは独立した機関であるべきだ、というのが基本になるからである。また、「電気通信の紛争処理」と独禁法や公取との関係はどうなのか。
   
12. ここまで書いてきて、もう一度「アジェンダ」を読んで気がついた。これまであれほどキーワードとして使われてきた「融合」も「安全・安心」も一度も登場しない。何かあったのだろうか。
   

 大臣の私的諮問機関である「懇談会」から総務省に設置された「研究会」へ、そして情報通信審議会への正式な諮問へと、段階としてはオーソライズの度合いを強めながら、議論のレベルは「法技術」的に傾斜していくように見え、その分だけ本質的な問題が後景に退き、メディアというものが時代を背負い、人々とどう向き合うか、そのために法として何を基本に論ずるべきかが、さらに見え難くなりつつある。これは、やはり問題であろう。

 「懇談会」以前から、融合問題についてこのような指摘をしてきた。些かしつこいとわれながら思うのだが、しかし情報の規律規制については過剰なほどナーバスであるべきだと思う。今後の議論のために、テイクノートしておきたい。それにしても、この文章もカタカナが多くなるのはグローバリズムの悪しき影響だろうか。

 尚、「放送研究と調査」(2009年1月号・NHK放送文化研究所)に掲載されている「『情報通信法』論議で焦点となるコンテンツ規律」(村上聖一)は、この問題についての大変整理された論稿である。




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